あれは私が小学校に入る前年の出来事でした。

引っ越して来て、私達にもようやく仲良しの
友達が出来ました。

私の住んでいた所は、道を隔てて、大きな川が
流れており、

上流にダムが出来た事で、水深が浅くなり、川砂が採取される様になりました。

仲良くなった同い年の子と二人で、川辺に近い
普段は余り人が通らない横路に、穴を掘って水を入れ、笹舟を浮かべて遊ぼうと言う事になり。

30㎝幅の厚さで、長さ4メートル程度の板を繋ぎ止めておく為の、鉄の杭を見つけたのです。

その鉄杭は凡そ50㎝の長さで両端が5㎝程、直角に曲がり先の尖った鉄杭でした。

友達がその鉄杭を振りかぶって穴を掘っていたのです。私はその真後ろで掘った砂を掻き出していました。

たまたまその時はどうした事か、勢い余って、
私の頭に突き刺ささつて来ました。

その友達は、妙な感触を感じたのでしょう。
後ろを振り返った途端、

驚きの声を上げて走って逃げ帰りました。

一瞬、何が起きたのか解りませんでした。何か頭のほうから温かい物が、流れて来るのだけは解りました。

頭蓋骨の真ん中が陥没して、ぽっかり開いた
頭頂部の穴から大量の温かい血が顔を伝い服
を伝って、流れ出てきました。

触ってみると両手にべっとりと血がついていました。

それでも、不思議な事に、私は一つも痛みを感じませんでした。血がこんなにも温かい物だと初めて知ったのです。

流石に少し貧血症状を起こし始めて、家に帰りましたが途中の事は全く覚えていませんでした。

母は健康保健証など持っていなくて、病院には
その友達のお父さんの保健証を使って、
緊急手術です。

病院では一刻を争う事態で、大至急輸血が必要となり、血液型の一致する人を募つたそうです。

体内の血液が大量に流れ出て、今にも命の危険が迫っていたのです。それも頭頂部分の真ん中
です、 

命が助かつたとしても、場所によつては脳細胞に異常が起きて、後遺症でも出てきたら、取り返しがつきません。

私はその手術の時に、とても不思議な、信じられない様な体験をしました。

いつの間にか、ふんわりと、体が軽くなり、天井に浮かんでいた私が、 手術台に乗せられているもう一人の私を、冷静に見つめていました。

痛みも何も感じませんでした。

何やら、何人かの先生と看護士さん達が、忙しくピリピリとして激しく動きまわり、手術をしていた先生がときおり激しく看護士さん達に命令していました。

輸血の時は、何やら少し、かすかに、しょつぱさを感じました。ほんの少しです。

続いて、私は母の姿を探しましたがそこにはいません、浮かんだまま自然に廊下に移動していき、何故か母の真上にきていました。

ゆっくりと柔らかな温かい物につつまれた侭、そこに運ばれていった感じでした。

体が壁を通り抜けたんだと思います。
壁に当たって痛みを感じる等と言う事も、
全く、感じる事すらなく、当然の様に通り抜けたのです。

母とその友達のお母さんが、廊下の横のソファーに座わつていました。

母が泣いていました。 少しも楽しい事をさせてあげられなかつたね。苦労ばかりかけて、ひもじい思いをさせて、ご免ね、

と言う母の言葉が、しゃべっても無いのに私の心の中に入って来るのでした。

私はあわてて、僕は元気だよ、ここに元気でいるよ、と伝えたかつたのですが、死なないで、えいちやん、死なないで、と私に訴えかけて来るのが心に伝わつて来るのてした。

私は、もし、母が泣いていなくて、死なないでとの思いを、受け取る事が出来なかつたら、

おそらく、他の場所に移動してしまったかも知れません。

他の場所は、物凄く穏やかな、心地よい空気で滿ち溢れていましたが。

あまりにも、泣いている、母の姿が痛ましく感じられて、今すぐでも母の元に帰って、安心させてあげたかったのです。

病院の先生方の必死の治療のかいあつて、私は
命を取りとめる事が出来ました。

私が目を開けたのは二日後の事でした。

生き返って、涙を流す母の姿を確認出来た時には、本当に嬉しくて、これで母を泣かさなくてすむ、と心から喜びました。

これからは大きくなつたら母を大事にして、苦労しなくて済むように幸せにしてあげられると、嬉しくて堪りませんでした。

しかし………