我が家では、日曜日や土曜日の午後ともなると、 不足している毎日の食事のおかずを、家族総出で山から仕入てくるのが、 この頃の日課となつていました。

大きな袋にゲットした食糧を詰めて帰って来るのです。

母の内職だけでは、兄の教科書代や家族みんなの衣類、電気代、風呂代、食べ盛りの子供たちの、米代や副食代等の現金出費を賄い切れないのです。

近くの山裾には沢山の山菜が自生していて、只で採取出来ました。

特に大きな墓地の近辺は、整備された道路が高見に続き、その側道が桜並木になっていました。

春には一面綺麗な桜で埋め尽くされる場所でもあります。

此処では、土筆や、わらび、ゼンマイ、いたどり等が沢山取れ、 
秋には、山葡萄や、あけび、栗等が確保出来ました。
そんな時はみんな大喜びでした。

土筆は開いたかさの部分を取り除いて、軽く水洗いし、大きな鍋に半分程埋まった土筆の醤油煮です、

玉子が有るときは玉子閉じです、私はこれが大好きでした。
今なら贅沢なおかずかも知れません。

いたどりは、根元からスポンと折れて、皮を剥いて塩水で食べたり、和え物にするのですが、
良く見ないと、時々蛇が、茎の間に玉子を産み付けたりするので気を付けなければなりません。

また少し小さくても甘味の強いさくらんぼ狩りのシーズンには、直ぐ行かないと無くなつてしまいます。

私は、焦っていました。桜の木にいち早く到着すると嬉しくて、堪りませんでした。早く取って母に喜んで貰おうと思つていたのです。

最初に見つけたさくらんぼに飛び付きました。

その時です、まだ背が低い私が飛び付いた枝がポキリと折れてしまったのです。長さは50㎝程でした。

私は母の喜んでくれる顔が、いの一番に見たくてした事でしたが、でも母は言いました、

本当に必要な量だけ、採取して
後から来る人達の為に

残しておくのが大切な事なんだよ。
もし自分達が後になつて、折角楽しみにして来たのに、何も残って無かったならどんな気持ちになるかな。

私達と同じ状況の家庭も有るでしよう。お腹も空かせて凄く悲しい思いをするでしよう。

それと同じ事を他の人にしてはいけないよ。
めぐり回って自分の所に戻って来るからね。

そして来春、再来年にも美味しい実を付けて貰う為にも、どんな理由があつても木を傷つけたり、折ったり、してもいけないよ。

それは人間の我が儘、その人の都合に過ぎない事だよ、この世は、人間も動植物も等しく同じ命、なんだよ。

木にとつて、枝を折られるのは、人間に例えれば、大事な腕や指を失なう事と同じ何だよ。桜の木も痛いんだよ。

普段は厳しい母の優しさに諭され、涙がにじんで、小さな私ですが母の言う事が理解出来ました。

その桜の木さんに、向かつて謝りました。

私のせいで枝を折つてしまいすみません。
腕が痛いでしよう、許して下さい。

これからもみんなの為に美しい花を咲かせて下さい、そして美味しい実を付けて下さい。
今まで人間や鳥や蝶々やみんなの為に本当にありがとう。

母はその桜の木を折つてしまった事を管理人の所に謝りに行ってくれました。


続く……