もりこのもりもり旅日記 11日目 マヤ・チチェンイッツァ遺跡 | マヤ暦 こよみよみ もりこのワクワクな毎日

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時差14時間のカンクンは7月15日 KIN3青い夜

 

マヤ遺跡巡り旅・3日目、

いよいよ最終日かと思うと

当初の予定通りあと2日追加すればよかった~

(長すぎて体力もたないだろうと2日削りました)

ユカタン半島を征した一大文明の軌跡

世界遺産チチェン・イッツァ遺跡&セノーテ一日観光🚐

 

今日のツアー参加は私達夫婦と40代男性。

聴けば、3ヵ月前にメキシコに赴任されたばかり。

スペイン語を勉強されて来られたのか

現地の人とも上手にお話されていました。

昨日から夏休みなのだけど

来たばかりだし、15歳と12歳のお子さんは受験生、

同僚は皆帰国されて、お1人での夏休みなのだとか、

鈴鹿が実家と言われ、またまた親近感です♪

(誕生日聞く勇気はなかったけどきっとマヤの関係性あったと思います)

 

運転手は昨日と同じマリオさん(こちらではよくある名前)

日本語のガイドさんは40歳くらいの日本人女性楠田さんでした。

このお仕事をするようになってからマヤ遺跡に興味を持ち、

マイナーなところを巡るのが好きなのだとか。

なんせみつかっている遺跡は4400か所あるんですから

ちょっとした遺跡はいたるところにあります。

 

ホテルから2時間半で到着です。

熟睡してたらしく、あっという間につきました。

車は結構揺れてるのに、よく眠れて有り難いことです(笑)

 

入り口からおびただしい数の露店が並んでいます。

せっせと編んでるから手づくり?カラフルです。

帰りに見てみたいと思いますが、

一日店番して、この中のどれだけ売れるのかしら…

 

ところで「マヤ」という名称、

マヤの人々が自らそう名乗ったわけでなく、

16世紀に侵攻したスペイン人がこの地域の文明や人々に名付けたと言われています。

都市国家マヤパンというところがあり、

そこから「マヤ」と呼ばれたという説もあります。

紀元前1600年頃からスペイン人がくるまでの文明を言います。

 

いわゆる一つの大国ではなく、多くの国家が乱立していて、

統一されることも一度もなかったけれど、

同じ言語を話し、同じ文字を使い、宗教も神もほぼ同じ、

同じ文化を共有しています。

 

ユカタン半島の北から、

比較的乾燥した”マヤ低地北部”

熱帯雨林が大半を占める”マヤ低地南部”

起伏の激しい”マヤ高地”

の3つの地域に分類されます。

そしてマヤの歴史は大きく5つに分けられます。

「石器」(前1万~前8000年)

「古期」(前8000〜前1800年頃)

「先古典期」(前1800〜後250年頃)

「古典期」(後250〜1000年)

「後古典期」(後1000年〜16世紀前半)

と区分されていますが、

 

前1万年以前のマヤ人の祖先となるモンゴロイド先住民が

アジア大陸からアメリカに渡ってきたということで、

マヤ人には日本人と同じ蒙古斑があるそうです。

 

今、言われているマヤ文明の起源は、前1600年頃。

 

チチェン<井戸のほとり>

イッツァ<水の魔術師>を意味するマヤ語

 

6世紀頃から栄えはじめたチチェンイッツァは

マヤ低地北部最大の都市として10世紀に最盛期を迎えます。

その領地25キロ平方メートルに5万人いたと推測されています。

舗装された道サクベは69本でマヤ最多。

〈※サクベ…小さい石を並べ、その上に平らな磨いた石を置く

建物と同じ作り方)

一度衰退期を迎えたと言われ、

新旧2時代の遺跡が残るのが特徴です。

 

7世紀に栄えた旧チチェンイッツァは雨神チャックで飾られ、

10世紀以降に栄えた新チチェンイッツァは

羽毛の生えた蛇ククルカンやドクロなどのモチーフを多用しています。これは戦闘部族トルテカの影響とみられ、外部勢力と交流をもつ国際都市であったことを示しているそうです。

 

〈世界遺産〉チチェンイッツァ遺跡

30平方キロメートルの広さがあります

 

カラコル天文台

旧チチェンイッツァのエリアにあります。

カラコルとはスペイン語でカタツムリという意味で

内部に螺旋階段があるドームの形から名付けられています。

中央のドームは高さ22メートル。

ここから神官が太陽、月、星の位置を観察していました。

3つの開口部はそれぞれ真南、

月が最南端にくる方向、

真西(春分の日の日没)

を向いている。

発見された時の絵です。

現在、ドーム部分の3分の2が修復されています。

どこまで修復するのか、、、このままの方が趣きあるけどなぁ

 

高僧の墓

洞窟の上に建てられている

何人もの遺体やヒスイのお供え物が見つかっている納骨堂。

神殿の角に巻き鼻の神チャックと

階段の両側がククルカンになっているので

マヤとメキシコの旧と新の折衷の建物です。

 

尼僧院&協会〈スペイン人が名付けた〉

旧チチェンイッツァを代表する建造物。

協会

尼僧院の東館 

入口〈モンスターの口になっている〉 

入口上には大きな羽の頭飾りをかぶった神様

リンテル(古代の建築で二つの支柱の上に水平に渡されたブロック)に日付が刻まれています。

 

ここでマメ知識

※マヤの数字

小石・木の棒・貝殻の3つだけで表しています

両手足の指20本で「満杯」繰り上がるということで

20進法となっています。

マヤは後1世紀以前には「ゼロ」知っていたようです。

インドに先駆けること数百年のマヤの”ゼロ”

(インドでは5世紀に発見されています)

表記は位が上がると上に積み上げていきます。

 

曲がった鼻の雨神チャック像

私はこれが一番気に入りました!

細かいモザイク彫刻模様

トルテカ文明の影響を受ける前の純粋なマヤンデザイン

発見当時の絵

 

崩れちゃったこんなところもありました

(赤い家・シカの家?)

 

大テーブルの神殿

高さ10メートルの小さいピラミッド

上にはいくつもの祭壇がある

 

チャックモール

心臓が捧げられるというのが通説ですが

これはアステカ人が生贄の心臓を捧げていたのを

スペイン人が目撃したことから来ているようで

マヤでは花や食べ物が捧げられていたというのが

マヤ遺跡発掘の第一人者・青山和夫教授のお話です。

 

ここにもゴロンと

ククルカンの頭 

 

ワシとジャガーの基壇

心臓を神に捧げる

ジャガーとワシは神に生贄を運ぶ使者です。

壁面に心臓を食べる様子が描かれている。

後980年ごろに建てられたもの。

兵士たちの気合を高める儀式がなされたところ。

 

ツォンパントリ

骸骨の壁 ドクロのレリーフ

実際生贄の首を並べていたようです

 

戦士の神殿

三層基壇の神殿

石柱には戦士や捕虜の姿が掘られ、トルテカ文明の建築様式

チャックモールやククルカンも鎮座し

メキシコ中央高原との交流を決定づける建造物

(内壁には、交流というよりトルテカが偵察に来ていたり、マヤ人がつかまっている征服場面の壁画があるらしいです)

 

これは別の角度から

妙に可愛いジャガー

壁の奥の方は色が残っていました。

青:空の色 赤:コチニール色素

 

千本柱の間

林立する柱。

当時宿屋があり、ベッドのような台にゴザのようなものを敷き寝ていたのだとか。

 

大球戯場

全長168m×幅68m 

あちこちにある球戯場の中でもメソアメリカ最大の広さ

3キロもある重いゴムボールを腰で打つ球技場。

ボールを太陽に見立て、宇宙に球を浮かせるイメージで、

天体の動きを表現した。

浮かせることに意味があったのだとか。

手をたたくと7回響く…マヤでは7という数字も大切。

やってみたけどスゴイ!こだまします!

壁を斜めにして広い競技場に声が響き渡るように設計されています。試合の迫力も高まります。

(チチェンイッツァの中に13も球戯場があるそうです。

完璧に復元はここだけ)

 

右上:競技場の南北に観覧席

左下:7mの高さに取り付けられた輪っか〈ゴール〉には

2匹の羽毛の生えた蛇がクロスする姿が掘られている。

右下:四方のククルカン 表情が可愛い

 

聖なるセノーテ

セノーテとは石灰岩質の陥没穴に地下水が溜まった、

ユカタン半島独特の泉。

緑色に濁っていて深さ20m。

このセノーテは底に雨神チャークが住んでいると信じられ、

雨乞いのために生贄が投げ込まれたという。ただし、現在では捧げられたのは装飾品などだったという説が主流に。

 

蒸し風呂

焼き石に水をかけて蒸気を出す

セノーテに入る前の浄化のためのもの

 

いよいよ最後に一番のお楽しみ♪

何度も横目で見て通過してきたけど

人が少なくなったところで写真撮影。

カスティージョ

カスティージョとはスペイン語で「城」の意味。

一辺56m、高さ24mのピラミッド。

広大な空間に圧倒的な存在感です。

(昔は登れたらしいけど観光客に死者が出て中止になったそうです)

発見された当初の絵

4方向の階段はそれぞれ91段あり、神殿に上る1段を合わせると

91×4+1=365段。

太陽暦の1年間を表しています。

真北から東に17度ずらして建てられ、

太陽が真西に沈む春分と秋分の日に

テラスの影が蛇の胴体を形作ります。

これは高い天文学知識があったからこその現象で

「ククルカン降臨」と言われます。

世界中から何万人も訪れる大イベントです。

天から降りてきたククルカン(羽毛の生えた蛇の神様)は

のどを潤すために北にあるセノーテへ直進します。

7月19日も特別な日で

「影がなくなる日」だといいます。

今日は15日時間もお昼近くで、影はほぼありません。

 

マヤの365日は 20日×18カ月+5日(19カ月目は5日)

壁面装飾のくぼみが一面に52個あったり、

階段のくぼみが8×2+2×2=20を表していたり、

マヤで大切にされている数字が建物のあちこちに隠されている。

 

最上階の神殿

マトリョーシカ状態になっていて

見えているのは3回目のピラミッド。

中の神殿にはチャックモールとジャガーの王座があります。

ジャガーにはヒスイがちりばめられている

東面

中のピラミッドの痕跡が観られます。

修復されていない南面

まだまだ未知数な

神秘的なククルカンのピラミッドでした。

 

お昼からの記事は次へ

 

今日も長い旅の記録にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m