末吉愛のディバインガイダンスBlog

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2つ下の弟が、大学受験でのわたしの道のりを知って放った言葉は、「運だけで生きてるやん」でした。

 

どうやら神さまのプランがあるらしいと思うようになったのは、中学生、高校生、大学生の頃に経験したことがきっかけだということ、わたしはそれを密かにGプランと呼んでいたことを前回書きました。

 

信じがたいことがあまりにも自然に起こってしまうのです。「そうなるように決まっていたから、こうなったんだ」。高校3年生のときも、助けられました。

 

それはセンター試験(もうこのようには呼ばなくなりましたが)の日のことです。苦手な数学の試験がありました。問題を解くのに時間がかかってしまい、残り5分くらいだったでしょうか、最後の問題に取りかかるにはもう間に合わない時間になってしまっていました。

 

期待値の問題で、これならわたしでも解ける問題だったのですが、時間がありません。普通に解いていたら間に合わない。けれども諦める気持ちにもなれない。そこでわたしは3桁の答えが入る2つの空欄を、1つずつじっと眺めました。

 

マークシート形式なので、3桁の数字をそれぞれ1つずつ塗りつぶすわけですが、思いきり集中してじっと眺めていると、数字が浮かんできました。なぜその数字なのか、何の根拠もありません。でも、浮かんできたので、2箇所の回答欄に、見えたその3桁の数字2つをそれぞれ塗りました。

 

 

生物の試験前の休み時間では、図表の、ウニのページがなぜかとても気になったので、ウニのかなり細かい図をじっと眺め、各名称を確認していました。こんなマニアックなところ、出るかな?と思いながらも、どうしても気になるので、定期テストでは出ないようなところもその場で暗記しました。

 

試験が始まり、問題用紙をパラパラっと見てみると、なんと、直前まで見ていたウニの図がそのまま試験問題になっていたのです。暗記したばかりだったので、急いでその問題から解き始めたことを憶えています。

 

 

生物のウニの問題は全問正解、数学の最後の問題も、正解でした。見えてきた3桁の数字はどちらもドンピシャだったのです(当たる確率は81万分の1でしょうか、計算方法を忘れてしまいました)。生物も数Ⅰもおかげで高得点でした。

 

時代を感じますが、当時センター試験の解答は、新聞の朝刊に掲載されることになっていたので、夜明け前に玄関でスタンバイして、パサっと朝刊が入れられた瞬間に抜き取り、その場で新聞を広げて答え合わせをし、数Ⅰの最後の問題と、生物のウニの問題がどれも正解だったことがわかったとき、強力な何かに後押しされているように感じました。

 

でもそれって、導かれたのではなく、サイキック能力を使っただけでしょ?と、思われるかもしれません。実際のところ、そうなのだろうと思います。けれども18歳のわたしにとっては、助けられていると感じた出来事だったのです。

 

 

 

 

そうは言っても、世の中甘くない。志望大学の前期試験で、見事に落ちます。中学生の頃もひどかったけれど、高校生になってもやっぱり勉強が苦手だったのです。

 

模試で志望大学を選んでおくと、合格できるかどうかの判定が出ますが、高1から高3までずっと、河合塾の模試では、志望大学は毎回E判定でした。センター試験の結果をもとにした判定でも、当然、E。間違いなく落ちますよ、というわけです。

 

センター試験後の三者懇談で、担任の先生が「滑り止めはどうする?」と尋ねられたのですが、私学は考えていなかった(母はこの頃も相変わらず、「うちはお金がないから」と言っていました)し、もし受かってしまったらお金を入れないといけなくなるので、「受けません」と返事をしたのですが、E判定だったので前期試験は落ちるだろうと思われていたはずで、「〇〇大学はどうや?センター利用で、出願するだけで受かるから」と言われました。

 

わたしは不思議なことに、ずっとE判定だったにもかかわらず、なぜか合格すると確信していたので、2回目も「受けません」と答えたのですが、担任の先生は困ったような表情をされていました。

 

合格すると確信していたものの、前期試験はズタボロで、E判定は正しかったし、担任の先生の予想通りだったわけですが、それでもわたしは、合格すると思っていました。すでに決定事項、という感じがしていたのです。前期試験で落ちたものの、浪人するつもりはありませんでした(浪人という単語が脳裏をよぎったことは一度もありませんでした)。

 

 

後期試験。これは、小論文の試験でした(センター試験の結果と小論文の成績で合否が決まることになっていました)。「絶対受かる自信ある!」と思っていました。けれども、最初から小論文が得意だったわけではありません。

 

高1のときの現代文の先生が、新聞を読み、気になる記事を切り抜いてノートに貼り、それについて意見を書くという宿題を、毎週末出しておられたのですが、わたしが書いた文章に対して、「末吉さんの文章は詩的で、論文ではないので〜」と、論理的な文章を書く練習をするよう促すコメントが添えられていたことがありました。全然、書けなかったのです。

 

わたしは毎回、真面目に取り組みました。高2になっても、高3になっても。結構時間がかかるので、大変な宿題だったのですが(卒業式の日に、アルバムに寄せ書きしてもらうためにその先生のところへ行ったとき、「君一人だけだったなぁ、真面目にスクラップの宿題をやっていたのは」と、ニコニコしながら、「輝け!」というメッセージを書きつつおっしゃったその時まで、他のみんなが適当にやっていたとは知りませんでした 笑)。

 

3年間真面目に続けてきたおかげで、高3のときにはそれなりの小論文が書けるようになっていました。わたしの気になる記事は教育問題ばかりで偏っていましたが、後期試験で出題された問題は、教育問題ばかりでした(教員養成課程でしたから)。

 

 

後期試験の当日、会場の教室に入ったとき、誰もいない教室に朝日が優しく差し込んでいるのを見て、合格を確信しました。

両親が車で大学へ送り届けてくれたのですが、時間潰しに二人はお寺に行き、そこで鳩たちが地面から空へパァッと飛び立ったのを見て、母は、「あっ、これはいける♪」と思ったのだそうです。父は父で、試験が終わって車に乗り込んだわたしの声の調子から、「おっ、いけるな」と思ったのだとか。たいした理由ではないのに3人とも合格を確信していました。

 

3月の終わり、「受かってるから見に行こ♪」と、楽しそうに母が言うので(母にとっての根拠は「鳩の羽ばたき」だけでした)、大学まで行き、掲示板に自分の受験番号があるのを見て安堵し、大学のキャンパスで担任の先生に電話で合格を伝えたのだったと思います。

 

高校の卒業式の日、担任の先生のところへ挨拶に行き(アルバムに寄せ書きをしてもらったのですが、生物の先生だったので、ミトコンドリアの絵が描かれていました)、「この学校で働きたいので、戻ってきます」と宣言しました。どの先生も親身になって教えてくださり、学ぶことが多かったので、母校で働きたいと思っていたのです。「待ってるで」と、先生はおっしゃってくださいました。

 

 

どんでん返し続きのわたしの道ですが、就職のときも、それが起きたのです。ここでもまた、不思議な展開になります。

 

Gプランがどういうものかについて書くつもりですが(「運」や「サイキック能力」といったことと、「ガイダンス」、「運ばれる」ということとの違いや、真の意味での神の計画についても触れたいのですが)、今回はこの辺りで。

 

Gプランシリーズは、結構長くなってしまいそうです。

 

Blessings,

 

 

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神さまのプランがあるらしい。
そう思ったのは22歳のときで、わたしは密かにそれを「Gプラン」と呼んでいました。

 

自分の中で、きっとこういうふうになるだろうと思った通りにはならず、あり得ない展開で、想像以上の経験へと運ばれるからです。

 

中学生のときも、高校生のときも、就職のときもそれが起きたので、さすがに「何かある」のだと認めざるを得ない、という気持ちでした。

 

Aかな、Bかな、それともCになるかな。岐路に立ったときに、さまざまな判断材料をもとに未来を想定してみるものの、AでもBでもCでもない。想定の範囲をぽん!と飛んでG。まさかのG。思いも寄らない結果になる。え!それってありですか?そういう意味でG。

とても人間が仕組めるようなことではない展開、神さま(God)がいるとしか思えないという意味でもG。

 

自分で計画を立てたって、その通りにはならない。だって、どうやらすでにGプランがあるんだもの。自分で考えることよりずっと素晴らしい展開が待っているんだから、あれこれ考えるのはやめておこう。

 

20代の頃、ときどきそんなふうに思っていました。どのみちGプランがあるし、そのほうが絶対嬉しい結果になるからお任せしていよう、と。

 

 

 

 

中学1年のとき、学校の教師になると決めた(「先生」には、3歳の頃から憧れていました)のですが、成績がひどく、学年での順位が後ろのほうだったので(テストの選択問題の答えを、「いろはにほへと」で選ぶほどひどかったのです)、このままでは教師になれないと父に言われ(父は教員免許を持っていました)、苦手な勉強に嫌々ながら取り組むことにし、多少順位は上がったのですが、中3になり、公立の特進クラスか何か、新しくできたコースのある(ここであれば国公立大学を目指せるであろう)高校を受験して、見事に落ちました。

 

わたしが教師になりたいと熱く思っていたことを知っていた担任の先生は、たびたび励ましてくださっていたのですが、その先生が学年主任をされていたこと、そして、通っていたこの中学校の校長先生と、とある私立の高校の教頭先生が知り合いであったことなど、さまざまな「ご縁」が重なって、当時は進学校であったその私学の高校を受験する流れになり、両親もわたしも想像していなかった展開で(「うちはお金がないから」が母の口癖だったので、私立は候補になかったのです)、その学校に通うことになりました。

 

言ってみれば補欠枠で入れたわけですが(裏口ではありません 笑)、わたしの成績では信じられない展開だったのです(補欠枠の中で、わたしは最下位だったそうです)。

その高校の先生方は、とても熱心な先生方ばかりで、勉強が大嫌いだったわたしが、塾に通うことなく国立の大学に合格することができました。

 

まあ、この大学受験でも、成績がよくないわたしに、信じがたいことが起きたのですが、書くと非常に長くなってしまうので、今日はこのあたりで。

Gプランとはどういうもののことなのか、また、Gプランで運ばれるための鍵についても、次回書いてみたいと思います。

 

Blessings,

 

 

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いわゆる「スピリチュアル」なことについて学んでいるかどうかにかかわらず、わたしたちはいつも導かれています。

その人が受け取れるように、その人のわかるものを使って、内なるガイドが“道”を示してくれるのです。

 

 

確か20歳のときだったと思いますが、メッセージを受け取ったと感じたことがありました。とても印象的だった(象徴的だった)ので、そのとき経験したことを今でも憶えています。

 

大学生の頃のわたしは夜中まで遊んでいることが多く、その日も深夜に車を走らせて帰宅するところでした。

国道ではなく農道を通っていたのですが(80キロで飛ばして帰れるからです)、街灯がほとんどないので真っ暗で、狭い道に入ってカーブを曲がり、坂道を下りようとしたあたりで、わたしは急に怖くなりました。進行方向が真っ白で、何も見えなかったからです。

 

濃霧が立ち込めていて、ヘッドライトの光はただその白い壁を見せるだけでした。
わたしはブレーキを踏んだまま、しばらく動けずにいました。先が見えず、カーブの多い坂道を下りることは怖くてできなかったのです。

 

静止したまま困惑していましたが、ゆっくり白い壁に近づいてみようと思えました。
恐る恐る進んでみると、目の前を遮る壁だったはずのものが、するすると糸が解けていくように、煙がゆらゆら揺れて遠のいてゆくように、消えていったのです。

 

自分の行手を阻んでいると思っていたものに自ら近づいていけば、遮っているものなどないとわかる、恐れを感じていたものは、恐れるに値しないものだったと知れる——。そうか、そうだったのか。近づけばいいんだ。

 

 

 

 

20歳のその時の気づきは、与えられたメッセージのように感じられました。

それ以来、「怖いと感じることから逃げようとせず、向き合って、近づく」ことを大切にしています。

何度、それによって愛の贈り物を受け取ってきたことでしょう。

 

 

濃霧を通り抜けたわたしの心は晴れ渡っていました。本当は、恐れるべきものは何もないのです。“道”は必ず示され、助けられます。静けさと、わたしたちの真の強さ、その確かさに戻してもらえるのです。

 

内なるガイドは、確かに“道”を示してくれます。ほんとうの道を。
たとえこれは問題だと思えるようなことがあるとしても、渦中にいても、“今、ここ”にありますよ、と。

 

愛と守護は、“今、ここ”にあるのです。時空を超えたところに。静かな心のうちに。外側に映し出された恐れの形を、超えたところに。

 

 

はい、受け取ります。

そのようにして静かにガイダンスに従うなら、問題と見えたものは問題ではなかったこと、幻影を見ていたに過ぎなかったということが明らかになり、愛に助けられて、通り抜けることができます。

 

恐れの思い、向き合わずにいたことに、そっと近づいてみましょう。

内なるガイドが、助けてくれます。わたしたちの幸せと平安は、確実です。

 

Blessings,

 

 

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