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末吉愛のディバインガイダンスBlog

奇跡を受け取るための気づきのヒントをお届けしていきます

 

 

 

随分と久しぶりの更新です。

 

世界中で学ばれているA Course in Miracles (ア・コース・イン・ミラクルズ)、日本語版では『奇跡のコース』、『奇跡講座』で知られているACIMですが、コースの学習を続けて11年目になりました。

 

10年目に入った2021年9月8日にこのブログをスタートさせたのですが、1年でたったの12記事しか書いていなかったので、これからはもう少し更新していくことになるかなと感じています。

 

 

9月8日。2012年のこの日の記憶はまったくありませんが、カトリックではこの日は聖母マリアの誕生日とされていて、偶然、この日からコースの学習を始めたのだったか、それとも意図的だったのか憶えていませんが、この日が来るたびに深まるのが献身の思いであることは確かです。

 

ACIMはJesusの声を書き取った本ではありますが宗教ではなく、真の自己を思い出すためのものであり、世界中に数多くある霊性の道のうちの1つです。

 

 

 

 

 

 

20代の頃、心理学、アロマセラピー、ボディワークを学ぶ流れに運ばれ、その後に示されたのはスピリチュアルな学びでした。スピリチュアル関連の本をたくさん読み、さまざまな講座を受けてきましたが、すっきりしない感覚がずっとありました。真実を知りたいのに、あまり近づいていっている気がしなかったのです。

 

ある夜、わたしは宇宙に向かって半ば文句を言うような気持ちで、「わたしは真実だけが知りたいんです!他のことは知りたくありません!」と、心のうちで言いました。叫んだ、と言うほうが正確かもしれません。

 

その日からどのくらい経ったか忘れましたが、その訴えによって(?)出合ったのが、ア・コース・イン・ミラクルズの本だったのです。

 

 

ア・コース・イン・ミラクルズ(ACIM)は、テキスト・ワークブック・マニュアルの3部構成になっていて、ワークブックのレッスンをわたしは1月1日から1レッスンずつやっているのですが、今日のレッスンは251「私は真理だけを必要としている」で、これを書いている途中でそれを思い出し、20代の終わりに宇宙に向かって叫んだ切実な思いに対して、確かに答え(導き)が与えられたのだと、改めて感じました。

 

わたしは真実を、真理を、求めていたのです。

 

 

 

いつから——?

 

いつからなんだろう。そう思ってふと出てくるのは、やはり小学生の頃のことです。交通事故に遭ったあのときから。たぶんそのあたりから。もしかしたら、8歳より前なのかもしれませんが。

 

真理を求める思いが高まったのが、20代の終わり。

答えが与えられ、学び続け、今日に至ります。まさか自分が30代の終わり頃からACIM Teacherとして活動するようになるだなんて、まったく想像していませんでした。

 

いまのわたしは、向こう岸へ渡りたいという思いを、内なるガイドであるHoly Spiritに託している状態です。信頼しているし、結果は確実なのだと確信しています。

 

 

6父は、わが子が引き上げられて優しく向こう岸へと運ばれることを意志している。7神がその橋を築いたのであり、その橋を渡って子を運んでゆくのも神である。8神がご自身の意志することに失敗しないかと案じることはない。9また、あなたのための神の意志からあなたが除外されるかもしれないと、案じることもない。

T-28.I.15:6-9

『奇跡講座 上巻』中央アート出版社

 

 

 

誰もがすでに答えを与えられています。結果は確実です。11年目に入ってますます、ここに信頼を抱けるようになりました。後ろを振り返る気持ちは、ありません。

 

分離はなく、わたしたちは繋がっていてひとつの、美しいスピリットなのだということ、神という完全なる愛と、わたしたちは永遠にひとつなのだということを、思い出したい。

 

いまは、ただ、それだけです。

ワンネスという真理、天国が反映された世界を垣間見るだけでよしとする気持ちには、なれません。

 

このような思いになれたのは、ご一緒してくださっている方々のおかげです。学びの友であるみなさんにどれほど助けられていることでしょうか。

感謝しても、しきれません。本当に…ありがとうございます。

 

 

 

 

今日はコミットの思いを言葉にしてみました。

わかりづらい内容だったかもしれませんが、最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

次回からはまた、ガイダンスに関することを何かしら書いていけたらと思います。これもまた「お任せ」です。

 

Blessings,

 

 

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ベッドの上に腰かけて、真っ直ぐこっちを見ながら、「だってさ、化粧も攻撃だからね」とSちゃん。ボストンにある、ホテルの一室で。

毎朝念入りに化粧をしていたわたしは、声を出して笑ってしまいました。まったくその通りだったからだし、あまりにもストレートに言ってくれたことが気持ちよくて、おかしくて、なんだか最高だなと思ったのです。Sちゃん、好きだなと。

 

だけど、この顔じゃあ、化粧をしないと外に出られないんだもの。

鏡を見ながらそう思う。何度も。何年も、思ってきたこと。綺麗な人はいいよなあ、化粧しなくていいんだもの。惨めさを知らなくて済むんだもの。

 

お世辞で見た目を褒められることは、かなり傷つくことでした。わたしのこと、知らないくせに。ひどいんだから。内心そう思ってしまうのです。ごまかしていることに対する後ろめたさ、自分という存在を恥じる気持ち、まったく見てもらえていないことに対する寂しさ。

 

だからと言って、ノーメイクで街を歩くことはできない。服を着ずに出歩くのと同じくらい、あり得ないことなのです。

 

 

 

 

 

 

ボストンからニューヨークに移動して何日目のことだったか、二人のSちゃん(ニューヨークに滞在中のホテルが一緒だった二人はどっちもSちゃんでした)とわたしは、セントラルパークに行くことにしました。自転車をレンタルして広い公園を走り抜け、メトロポリタン美術館でしばらく過ごし、美術館を出ようとしたところで、雨が降っていることに気づきました。

 

折り畳み傘は持っていたけれど、わたしは傘を持ちながら自転車を運転することはできない(そもそもまともに自転車に乗れない)ので、大事なバッグとお土産をカゴに入れて、そこに被せるように傘を差し込み、自転車のレンタルショップまで走るしかないと思いましたが、雨は随分と激しく降ってきていて、とてもじゃないけど、これでしばらく走るのは無理そうだと思えました。

 

近くに、折り畳み傘を売っている黒人男性がいました。190センチくらいの背丈で、無表情。5ドルだと言って、美術館から出てくる人たちに素早くなれた手つきで売っているのです。二人のSちゃんは特に気にせず、傘もレインコートもないままでも平気な様子で、とにかく急いで帰ろう、という雰囲気。

 

わたしは傘を片手に持って自転車に乗れないにもかかわらず、こんなに激しい雨の中、20分も走れないと思い、その男性に近づき、4ドルで売ってほしいとお願いしました。現金をほとんど持っていなかったのです。初め、軽く首を横に振って断られましたが、なんとか事情を説明しようとしていたら、お金を渡す前に無言で傘を差し出してくれたので、心からお礼を言って4ドルを支払い、急いで自転車のところまで行ってSちゃんたちとレンタルショップへ向かいました。

 

大きめの黒い傘の中棒を脇に挟んで(なんと不恰好なのでしょう)、半ばかがむようにして自転車を漕ぎました。ただでさえ運転が下手だというのに、こんな姿勢で乗っているので、すいすいと走り去っていく二人のSちゃんには全く追いつかず、とうとうかなりの距離が空いてしまいました。

 

土砂降りの雨の中、うまく運転できないし、傘の意味がなくなって、服は全身びしょ濡れ、遠くのSちゃんたちを見ていたら、なんだかうんざりしてしまい、わたしは晴れ女なのに、なんでこんなことになっているんだろうと、どうでもいいことを思いました。

 

自転車に跨って停止したまま、少しの間、動けなくなったのですが、文句を言ったり嘆いたりするより、贈り物を受け取りたいと思い直し、ホーリースピリット(内なるガイド)に心を合わせました。

 

すると、ああ、全部が洗い流されているのだと感じられたのです。

ヘアアイロンで巻いた髪、念入りにメイクした顔、お気に入りの服と靴。全部台無し。

頑張って整えた「わたし」、これで少しはマシな見た目になったはずの「わたし」が、土砂降りの雨で洗い流されてゆく——。

 

これが「わたし」、これでなんとか受け入れてくださいと作り上げておきながら褒められることは受け入れられない、偽りの「わたし」。その無意味さ。

 

 

雨は、わたしを救ってくれました。

全部台無しになって、もうどうしようもない自分を、ばかにすることなく優しく笑って見ることができたのです。これでいいじゃない。わたしは何も変わらない。

 

わたしは身体ではありません。わたしは自由です。

わたしは、今でも神が創造されたままのわたしだからです。

『奇跡のコース』のワークを学ぶ

ガイドブック8/香咲弥須子監訳

 

 

 

遠くで二人のSちゃんが、雨は相変わらず強く降っているというのに、わたしを待ってくれていました。

 

ごめんね、ありがとう。行かなくちゃ。

わたしは傘を畳んでカゴに入れ、右足でペダルを踏み込みました。

さっきの黒人男性の、優しい光にも感謝しながら。

 

 

Blessings,

 

 

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2008年8月某日。夏休み明けの、宿題考査の監督中、窓の向こうの青い空をぼんやり眺めたり、答案用紙に何かしら書いているらしい生徒たちや、教室の後ろに貼られた数枚のポスター、その横にある、チョークの粉で汚れた黒板などに目をやりながら、「そっか、辞めればいいんだ」と思いました。

 

人生に転機が訪れるときというのは、ドラマチックなものが多いのかもしれませんが、わたしにとっては、試験監督中に教師を辞めようと思い立ったあのときが、それだったような気がします。あまりにも軽い思いつき。それでいて重要な決心。

 

この仕事も好きだったけれど、中高一貫校で非常勤講師をしながら、平日の夜や週末に、電車で1時間半ほどかけて心理カウンセラー養成スクールに通い、トレーニングを積み重ねていくうちに、プロのカウンセラーになりたいと思うようになっていました。

 

そのスクールでは、ニューヨーク研修というのがあって、アニマルセラピーを取り入れている子どもたちの施設や、性的虐待を受けた方をケアする病院、精神を患っている方にアートセラピーを取り入れている病院などを訪問することができ、当時ニューヨークで5本の指に入ると言われていた有名な心理カウンセラーの方の講義を受けられるとのことで、それに参加したいし、大阪のスクールでの、平日昼間のクラスも受講したいという気持ちが高まって、それならいっそのこと、教師を辞めればいいんだと、簡単なことじゃないかと、ふっと力が抜けたような感じで、そう思えたのです。

 

 

 

 

 

8月の終わりに辞めると心に決めたけれども、まだ誰にも言えないなと思いながら普段通りに過ごしていました。この決断に迷いはありませんでしたが、周りのことも考えて、様子を見ることにしようと思ったのです。そうして数か月が経ち、12月、友人に誘われた飲み会に参加する前に立ち寄った書店で、おもしろい経験をしました。

 

梅田の大きな書店前で待ち合わせすることになっていたのですが、早く着き過ぎたので中に入り、心理学コーナーに向かっていきました。ずらりと並んだ本の背表紙をなんとなく見ていたとき、「そっちじゃないよね?」と右側から声がはっきりと聞こえました。内なる声です。

 

ああ、バレてるんだなと思いました。本当は、背中側の、精神世界コーナーが気になっていたのです。でも、精神世界コーナーに立って本を探しているところを誰かに見られるなんて恥ずかしいと思ったし、なんだか怪しいから嫌だと思って背を向けて、心理学コーナーの書棚のほうを見ていたのです。何も探したいものはないというのに。

 

声が聞こえてしまったので、これはもう素直になるしかないと思い、体の向きを変え、気になっていた、かわいらしい箱たちに目をやりました。さまざまな本が平積みされている横に、カラフルで、きれいな絵が描かれた箱が積んであるのです。最初、タロットカードだと思いました。

 

中学生の頃読んでいた雑誌は「My Birthday」で、付録にタロットカードが付いていたときがあり、一時期それにハマったことがありました。色々わかる(当たる)気がしておもしろく、たくさん質問しては答えをもらっていましたが、当時わたしは何も行動に移さなかったので、こういうものに依存していてはいけないと思い、いつだったか、思い切って捨てました。

 

その10代のときのことを思い出し、なんだ、タロットか、もうこういうのに依存しないって決めたんだけどなと思いつつも、どうしても気になってしまったので、濃い落ち着いたピンク色の背景にARCHANGEL ORACLE CARDSという文字が記された、天使の絵が描かれた箱(見本として置いてありました)を手に取り、そっと蓋を開け、ガイドブックをパッと適当なところで開いてみると、そこは「Counselor」というカードの解説ページで、「あなたは生まれつきのカウンセラーです。多くの人が、あなたのアドバイスや信頼のおける言葉に助けられるでしょう」と書かれてありました。

 

ああ、これはもう、買って帰らなければと思いました。この頃、わたしはプロの心理カウンセラーになりたいけれど、そのために教師を辞めるつもりだけれど、本当に大丈夫なんだろうか、カウンセラーになれるんだろうかと気になっていたからです。

 

それにしてもすごいなあ、どうしてピッタリなものが出たんだろう、これは何だろうと興味がわいて、オラクルカードというものがあることを知りました。まさかこのカードを作ったドリーン・バーチュー博士に、この日から約2年半後にハワイで直接会えることになるなど、予想できたはずがありません。

 

この大天使オラクルカードのほかに、もう一つ気になったカードも一緒に購入し、飲み会に参加しました。オラクルカードのことははっきり憶えているけれど、男性陣のことは(この飲み会まるごと)まったく記憶に残っていません。早くお開きになってほしい、オラクルカードの封を開けたい。そう思っていたことはかろうじて思い出せますが、ずっと上の空でした。失礼ながら。でもわたしにとって、ターニングポイントだったのです。この日の夜も。

 

 

 

夏休み明けに突然教師を辞めると心に決め、年末に「Counselor」のメッセージに後押しされて、2009年の3月末に、5年働いた学校を辞めることになります。まさか1年後に夢でガイダンスを受け取り、また母校に戻ってくることになるとは知らずに。そしてそこから5年勤めた後にまた辞めることになるとは想像だにせずに。

 

わたしは実際、2009年にニューヨークに赴き、あらゆる施設を訪問し、有名な心理カウンセラーの講義を受け、感動し、エンパイアステートビルディングの屋上で夜景を眺めながら、プロのカウンセラーとして、セラピストとしてやっていくんだと誓いました。10年後にまったく同じ場所にやって来るとは思いも寄らず。

 

日本に戻ってきてから、さらにトレーニングを積み重ね、個人セッションやワークショップ、グループカウンセリング、誘導瞑想ができるようになりました。この、ほぼ無職の1年間(このスクールで少しだけ事務のアルバイトとして雇ってもらっていました)で磨いたことが、今の活動にとても役立っています。

 

奇妙な流れですが、2010年4月から母校に戻って非常勤講師として働く傍ら、心理カウンセラーとしても活動し始め、2010年12月に大天使ガブリエルに遭遇し、2011年6月に、ドリーン・バーチュー博士の最後のワークショップに参加させてもらえることになり(自分で申し込んだのではなく、参加できなくなった人の代わりに行くことになったのです)、一時期は、国語の教師、心理カウンセラー、エンジェルセラピープラクティショナー、それぞれ同時進行で(他のことも含めて)活動していました。そしてこうした一連のことがすべてここに繋がっていたのです。

 

 

転機の始まりは、「ちょっとしたこと」のような気がします。ふとしたひらめき。偶然見たもの。微かな感覚。そうしたものを気のせいだと思って無視しないこと。ハートに素直になること。

心配しなくても、どんどん運ばれてゆくのです。大事なことは、その邪魔をしないこと。導きに従うことです。「普通は〜」、「常識的に言って〜」、そうしたことで、ハートからの思いを消し去ろうとしないこと。リラックスして、自然体でいること。できるだけ、静かにしていることです。

 

ほぼ無職だった時期は、どんどん貯金が減るばかりで不安を感じましたが、この1年がなかったら今のわたしはありませんでした。ひらめいて仕事を辞めたのはいいけれど、先のことはまったく何も考えていなかったのです。どうかしていたのですが、どうかしていたおかげで転機が訪れ、シンクロニシティの連続、セレンディピティの連続を経験し、心から喜びを感じられ、分かち合える人生へとシフトしていけました。

 

誰もが運ばれていくことができますが、そのためにはまず、自分に正直になること、ハートの感覚に素直になること——過去の体験をもとに判断したり、世間体や、人にどう思われるかを気にしたり、損得でものを考えたりしないことが非常に重要なのです。

 

他にもまだありますが、今日はこのあたりで。

 

Blessings,

 

 

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