「小公女セーラ」を通して見えた子供と大人の感覚の違い | 馬の町から

馬の町から

ダンナのフランス赴任で、家族でシャンティイ→シャンティイ近くの村で過ごした、2018年3月26日~2020年10月26日まで、合計ぴったり2年7ヶ月のフランス生活の記録。子供は2008年生まれの娘「はな」(仮名)、2010年生まれの息子「かい」(仮名)。

さて!だいぶ前のことになってしまいますが、ようやくフランス語版の「小公女セーラ」見終わりました、8月後半のことでした。

 

以前の日記にも書いたんですけど…全46話、まーーーーーとにかく、ツラいの!!見るのが!!

 

最後にはハッピーエンドだと分かっちゃいるんだけど、それまでがねぇ…ひたすらのいじめの期間が長すぎる…。

 

子供の頃、私このアニメが大好きで、毎週楽しみにしてたのを覚えてるけど…このひたすらにつらく苦しい話を、一体どういう心理状態で毎週楽しみにしてたのやら…とは思ったものの、毎回1話見終わるごとにはなが「もうひとつ!お願い!」と見たがるところを見ると、おそらく私もこのようなものだったのだろう…(かいはそのへん私と一緒で、こんな話1日ひとつ見るので精いっぱいだわ…ってかんじ…30分弱の1話見るだけで、イライラのバロメーターがハンパなく上がる)。

 

大人になった今見ると、ほんっとに、ツッコみどころが多すぎる話で…ミンチン先生(フランス語だとモンジャン)とラビニアの、性根の腐ったいじめ、付随するジェームズとマリー(日本語版の名前は忘れた)からの酷使、それらをひどいと思いながらも止められないミンチンの妹アメリアと他の生徒達。

 

最後にセーラがダイヤモンドプリンセスに返り咲いて、ミンチンが自分の行いを悔いたのも、結局は「また金持ちになるなんて…なんてことを…」って、結局金か!!だし、そうやって落ち込んでいる姉に向かっていきなりキレ出したアメリアも、イヤイヤいくら恩ある姉だからってここまで何にもしてこなかったアンタは十分同罪だろと…「こんなことを続けてると学校の評判が悪くなる」くらいの具申はいくらでもする機会あっただろ…最後の最後に何言ってんだか…。

 

周りの生徒達だってそうよ、気が向いた時だけ時々ラビニアに対して集団で攻撃的になってるけど、普段はなんにも言えてないじゃないか、てか直接言えなくたって、普通に考えて、ヴァカンス中に自宅に戻って親に会って、「学校はどうだ?」って話になって、「こんなかわいそうな子がいるんだよ」くらいの話はするだろう?ロティなんて絶対してるはず。

 

親からしたら、自分の子供を寄宿で預けてる学校の先生や主席の生徒がそんなひどいことをしてるって分かったら即刻やめさせる、でなくてもそれをにおわせるくらいのことはするだろう、だいたいあの学校の親はみんな金持ちなんだからいくらでも圧力のかけようがあっただろうに。

 

…と、ツッコんでみたところで、それをツッコんだら物語が成り立たないんだろうから、しょうがないんだろうけども。

 

それにしても、セーラがなんか、神すぎて最後には腹が立つ…あれだけされたミンチンの学校に多額の寄付をして、さらにはラビニアとも何事もなく和解する。

 

で、その和解の握手のシーンでは、うちの子達は拍手する始末…イヤイヤイヤイヤ!!!!!アンタ達、あんっっっっっだけのひどい扱いをしてきたヤツを、無条件に「ハイ仲直り」って、できるか?!?!?!…って言ったらですね、「いいじゃーん!それでいいんだよー!」って…うーーーーーん…いいのかなぁ…私には無理だ、私はキリストにはなれない。

 

金だってねぇ…あんな学校にその額の寄付するくらいなら、もっともっと、あなたが知り合ってきた街の貧しい子達のためになにかしてあげなさいよと…まぁセーラのことだからきっと、このツラい時期を忘れることなく、そういう恵まれない人達の支援をし続けるのであろう、と想像はするところですが。

 

この点、我が家には、原作を子供向けに読みやすくしたという和訳本がありまして、この本を読み返したところ、こちらではセーラはもうちょっと人間らしい…ツラい時にはツラいと言ってるし、ミンチンにも言い返す時は言い返してるし、ラストもミンチンは校長の座を追われてる(ラビニアはどうなったか知らないけど、まともな先生ならちゃんと見抜くだろう、まともな先生ならね)。

 

やっぱり物語はこう、勧善懲悪じゃないと…と思ってしまう私は、もう大人への過程で魂が汚れてしまっているのかねぇ…と、このドス黒い話を通して、子供と大人の観点の違いをあれこれ感じたのでありました。

 

…フランス語?うーーーーーん…表現としていろいろ学べるところはあったけど…やっぱりまだまだ、聞き取れるようには、ならないですねぇ…(苦笑)