「私は無宗教です」と言いながら、初詣でお札を授かり、お墓参りも欠かさない。
そんな日本人は多いはずです。
実は私もその一人。
でも25年前、将来への強い不安から、ある「教祖」のような方に占いで20万円を払った苦い経験があります。
当時は必死でしたが、今振り返ればそれは「安心」を買い叩こうとしていたのかもしれません。
そんな私が、生前墓の建立や日々の参拝を経て辿り着いた、これからの「宗教観」をお話しします。
1. 「不安」に値段をつけない
20万円の授業料で学んだのは、「不安の解消を他人に委ねてはいけない」ということです。
カルトや高額な献金に捕まる共通点は、自分の人生の決定権を誰かに渡してしまうこと。
悩みがある時ほど、高額な対価を求める「正解」には疑いを持ってください。
本当の救いは、あなたの財布を狙ったりはしません。
2. 「形」と「作法」を味方にする
私はお札やお参りが大好きです。
それは特定の神様を盲信するのとは少し違います。
お墓を建てる際に「墓相」を気にするように、先人たちが大切にしてきた「整える作法」を取り入れることで、自分の心がスッと落ち着くのを感じるからです。
宗教を「教義」としてではなく、日常を心地よくする「文化」や「美意識」として楽しむ。
この「ゆるさ」こそが、日本人の強みではないでしょうか。
3. 自分の「心地よさ」を信じる
これからの時代、宗教と関わる上で一番大切なのは、「自分の違和感を無視しないこと」です。
お参りをして清々しい気分になるなら、それはあなたにとって正解。
でも、誰かに強制されたり、生活を脅かしたりするものは、どんなに立派な言葉を並べられても偽物です。
「信じる」ことより、「自分がどう在りたいか」。
それを支えるエッセンスとして宗教や伝統を「つまみ食い」するくらいが、現代人にはちょうどいい距離感なのだと私は思います。

