悟りの道も一歩から

 

 

Q:水の洗礼、火の洗礼とは

     どういうことですか?

 

 

 

 

世界救世教

 

◆最後の審判

『地上天国』12号、

昭和25(1950)年1月20日発行

キリストのいった最後の審判とは、

いついかなる形によって

現れるものであろうかは

これは基督者(クリスチャン)はもとより

一般人も知らんとするところであろう。

 

 

 

 

いよいよ時期切迫の折柄、

その片鱗をここに発表するのである。

しかしこれは私個人の見解ではない。

全く霊感によるのであるから、

一の参考とし学説として読まれん事である。

 


 一体、最後の審判なるものは

事実あるであろうかを、

まず決めるべきである。

そうして仮にも世界をリードしている

文化国民を中心に、

数億の尊信者が絶対帰依している、

 

 

 

キリストともいわるる大聖者が

あり得ざる事をあるといって

予言するはずはない。

 

 

もし本当にないとしたら、

単なる嘘つきという事になる。

 

黄砂に吹かれて 工藤静香

 

したがって、

基督者ならぬ吾らといえども

一点の疑いなく確信している

のである。

 

 

また私がこれだけは信じている、

彼の大本教祖のお筆先にいわく

 

 

「神の申した事は、

 毛筋の横幅も違わんぞよ」

 

という言葉は

そのまま審判の予言に当はめても

間違いないと思うのである。

また善悪についてこういうお筆先がある。

 

「悪は根絶やしに致して善の世に致すぞよ」

 

「悪の世は済みたぞよ」

 

「悪の世は九分九厘で厘止りに致し、

一厘の仕組で善の世に振替えるぞよ」

 

「いよいよ切替時が来るぞよ」

 

 

とあるのはいずれも

最後の審判の意味でなくて何であろう。

吾らが常にいうこれが

いわゆる夜昼転換の事である。

 

 

またお筆先に、

 

「この世の大峠が来るから

 身魂を磨いておいて下されよ」

 

というところもある。

これは夜昼の転換期を言ったもので、

それを越すためには濁った身魂では

駄目だという意味である。

 


以上によって

聖書の審判を基礎とし

お筆先の意味を検討する時、

こういう結論になろう。

 

「すなわち大危機が迫っており、

それを乗越すには

心が浄(きよ)く

なければならない

悪人は転落して、永遠に滅びる」

 

 

という意味である。

とすれば、

どうしても正しい信仰によって魂を浄め

無事に乗越さなければならないのである。

しかしながら、

世の中にはそんな馬鹿な事があって堪る

ものか、神も仏も人間が造ったもので、

 

 

現実にそんなものはあるはずがないという。

唯物主義者は仲々信じられまいが、

その時になっていかに

周章(あわ)てふためき

神に縋るといえども最早手遅れで、

どうにもならない事になるのは、

火をみるよりも明らかである。

もちろん神の大愛は一人でも多くを

救わせ給うのであるから、

神意を体する吾らとしては、

繰返し繰返し

警告与えている

のである。

 


この事をお筆先には、

 

「神は助けようと思って、

筆先でなんぼ知らしてやれども、

いつも鳴く烏(からす)の声と

油断を致していると、

今に栃麺棒(とちめんぼう)をふるって、

逆さになって

お詫びをせんならん時が来るが、

 

 

そのになっては、

神はそんな者にかもうてはおれんから、

身から出た錆とあきらめて

往生致そうより仕様がないぞよ」

 

とあるのは、

それをよく言い表していると

思うのである。

 

これについて、ノアの洪水の事を

概略かいてみよう。
これは数千年か、あるいは数万年以前の

出来事であろうが、

無論古代ヨーロッパのある国に、

ノアという名の兄弟があった。

その兄が今日でいう神憑りになって

こういう事を示された。

 

それは、近く大洪水があるから、

世人に向かって、大いに警告せよ。

というので兄弟はすこぶる熱心に

民衆に向かって警告を与えたが、

誰も信じようとはしない。

 

 

数年かかって

ようやく六人の信ずるものが出来た。

神はまた方舟を造れと命じた。

 

 

 

 

 

 

方舟というのは銀杏の実の形をした舟で、

すなわち蓋(ふた)があるのである。

ところが暫くして果せるかな、

長雨が続いた。

この雨を百日降ったという説と、

四十日という説があるが、

とにかく長期間の豪雨には違いなかった。

漸次水量は増し、

人家はことごとく水中に没し、

僅かに山の頂のみが残った。

人々は争うて舟をやり、

または高山の上に登ったが、

意外にも猛獣毒蛇も人間と同様

助からんとして、

高山に、あるいは舟に登って来た。

空腹のため残らずの人間を

喰殺したのであるが、

方舟には蓋があるから、登る事が出来ず、

八人だけは助かったのである。

その八人の子孫が、

今日の白人の祖という事になっている。
 

次に、新約聖書に、

ヨハネ洗霊をなし、

キリスト洗霊をする

という事が出ているが、

ノアの洪水がヨハネの水の洗霊であるとすれば、

 

 

キリストの火の洗霊は、

いよいよ来らんとする最後の審判

なくてならない事になる。

しかしながら

とは的であり、

とはであるから、

 

 

吾らが今行っている、

霊をもって霊を浄める方法こそ、

全く火の洗霊である。

 

 

すると霊から体に移写するのであるから、

火の洗霊が体的にいかに影響するか、

これこそ空前の変異でなくてはならない。

といっても

危機は悪に対してのみ表われ

善には危機はない事を

知らねばならない。
この文を無信仰者に提供するのである。

 

 

洗礼者ヨハネ

スマホで絵画鑑賞

〜よく絵画で描かれるヨハネってどんなひと?〜

 

 

 

水の洗礼

 

【旧約聖書】ノアの方舟伝説!

神による怒りの制裁!

 

 

 

 


◆素盞鳴尊


共産主義資本主義もユダヤから出ており、
ユダヤには正義派と邪道と両方ある。

 

 

資本主義のアメリカはキリストを基としている。
世界平和をモットーにしている。

 

 

善悪の摩擦で文化が進歩するのであるから、

今までは仕方がない。
ユダヤ文化というのは、

素盞鳴尊が追放されてパレスチナに住み、
子供を12人生んだ。
そして世を乱した罪を贖うべく贖罪した。


今日の唯物文化の根本は朝鮮である。
根本から始められるのであるから、

素盞鳴尊の発祥地から始められる。

 

 


であるから

朝鮮はまるで墓場のようになる。
これが拡がって世界的になる。


インドシナが先で、台湾は今月か来月半ばである。
ソ連は火をつけており、
アメリカは消防のようなものである。
最近より義勇兵を募り、
軍需工場に一〇〇万ドルクレジットして

武器を製造さした。


朝鮮は素盞鳴尊の出生地である。
ソシモリ山へ天降ったと言われる。

故に朝鮮の天照大神である。
素盞鳴尊は女好きで、

浦島太郎の伝説が絡んでいる。

尊は日本に来て統治し、朝鮮へ帰らなかった。
それで龍宮の乙姫は淋しいので・・・。
浦島太郎は漁師で、暴風に遭い朝鮮へ漂着した。

越後辺りの者らしい。
木曽の寝覚の床に浦島の使った釣竿を祀ってある。
美男子だったので、乙姫に愛され、

土産物を種々もらった。
玉手箱というのは、宝石のごときものであろう。
素盞鳴尊は日本に来てある神と恋愛し、

よけいに帰れぬ事となり、
伊邪那岐尊に追放されてヨーロッパへ行った。
そしてパレスチナに住んだ。
たくさんの妾を作り子を生んだ。

それがイスラエルの12の流れである。

 


ユダヤ人は頭が優れており、

神の選民と言った。

 


今日の物質文化はユダヤが作った。

それには非常に罪を作った。

 


最初はイエスとなって罪を贖ったが、

 

その後2000年経って罪穢が溜まったので、
今後はまず朝鮮がそのもので、
世界的大浄化の本元を

徹底的に神様はやられる。

 


これから世の中にだんだん及ぶ。
一旦穏やかになり、だんだん激しくなる。

ユダヤ人は功労民族である。
勝れた学者等ほとんどユダヤ民族で、

非常に頭が良い。

 

 


軍部が政策上、ユダヤ民族を悪く言った。
そして思想宗教を排撃した。
ユダヤは物質文化を作る為に罪を作った。

 

 


神様の事は、功績があったからとて

罪を許すことは出来ぬ。

 


故に、根本から始められる。

それが朝鮮問題である。

 


世界的大精算で、

罪の大掃除をしなければならぬ。

 


その元が朝鮮で、朝鮮を掃除する。
朝鮮はユダヤの先祖の故郷で、

徹底的大浄化が行われる。
各国の文化は枝である。
終るまでには墓場のようになる。
日本と比較にならぬ。
 

 

 

火の洗霊

 

 

◆御 詠

洗霊の火の手は己(すで)に朝鮮に 

燃え初めにけり心せよみな

朝鮮の焦土の状(さま)の恐ろしさ 

やがて来ぬらん地の悉くに

審判の 火の凄まじき 

天仰ぎ 神に祈るも 己(すで)に 遅かり

 

 

 

◆御 詠

栄光の 雲より降る大救主に 

焦土は忽ち天国と化すらん




◆素盞鳴尊(すさのうのみこと)

 

月・・・裏・・・素盞嗚尊が月の神であって

        これは暗の時の働きである。


月・・・表・・・月読尊も月の神であるが、

        これは照されている時の働きである。


夜の世界の間は仏の世であるから、

神々は全部仏に化身された。
天照皇大神が大日如来、

 

 

月読尊が阿弥陀如来、

 


稚姫君尊(わかひめぎみ)が

釈迦如来というようにである。


 


人間は神の分霊であり、

それぞれの民族の始まりの神がある。
「根本の神」は、

その中でも最も初めの神。

例 根本神


日の大神---国常立尊(くにとこたちのみこと)

           伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)

           伊都能売尊(いづのめのみこと)
 

           大和民族

月の大神---豊雲野尊(とよくもぬのみこと)

           伊邪那美尊(いざなみのみこと)

           神素盞鳴尊(かむすさのうのみこと)              
      
           ユダヤ民族、韓民族


 


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◆夜の世界と昼の世界

夜の時代では月の系統の神が

世界をリードしてきた?

イギリスが世界をリードしてきた(月)
アメリカが世界をリードしてきた (星) 

 

 
 

日が昇る前には露が溜まるので

ロシアが一旦栄える(露)

 

 


そして、これから日本が世界をリードする
日を生むと書いて星、

アメリカが日本を生む

 

 

 

浜崎あゆみ / M

 

 

 

 


 

つまり

アメリカに日本が抱かれている

んですよ。

 

 

 

 

 

日本(大調和精神)

 

 

世界をリードするようになった時が

 


昼の世界のはじまり~はじまり~

ヤマトゥ!ヤマトゥ!ヤマトゥ!

 

荒ぶる神スサノウの役割~「古事記と言霊」#2~

 

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寸鉄


愈々、地球の大掃除が始まりそうだ、
コチラは愈々天国が始まりそうだ、
之から世界中テンヤワンヤの大芝居、
愈々始まり左様、
東西東西、カチカチカチ、
すると大向うの掛声、
イヨー大メシヤー
      (昭和26年1月24日)

 

 


御教え集19号  昭和28年3月15日


~省略~
そうして神様のほうは、

南北朝鮮をすっかり掃除して

合併させて、

 


それから

中国全土をすっかり掃除して

 

 

きれいにして、
そうして

日本朝鮮中国

三つ固く手握る
ということになるのです。



日本

朝鮮

中国ですから、

これはミロクです。

 


それが本当にそうなるまでには

なかなか時日がかかりますが、
それがあらかたそうなってから、

ヨーロッパの掃除が始まるのです。
そういう幕が次々に出てきますまら、

それをだいたい知ってみると、

とてもおもしろいのです。

それから開闢(かいびゃく)以来ない大芝居で、
世界的チャンバラ劇です。

大本教のお筆先にこういうのがあります。

「早くから神に縋りて居た人間は、

いよいよとなりたら
高見の見物をさせてやるぞよ」

 

 

 

 

◆御 詠


洗霊の 火の渦巻きは 地の上を 

舐め尽くすなり浄所(きよどころ)残して

 

 

人類滅亡の日 - 核戦争の悪夢 

~世界が終わる10のシナリオ~ 1/4

 

 

 

 


◆全人類を救うとしたら

一切万事世界的となった以上、
全人類を救うとしたら

驚くべき大仕掛でなくてはならない。
つまり規模が大きい程

救われる人も多数に上るからである。
以上の如き本教の大計画を知ったなら、
何人と雖も本教を見直さない訳には

ゆかないであろう。

 

 

 

世界救世教

 

◆太初に創作された神のシナリオ


各宗教の開祖、また、その後継者たちは、
人類の悩みを救おうと血のにじむ努力をしたが、

救う力が足りず、
また真の文明世界をつくる時期も

来ていなかったから成功しなかった。

しかし!!

ここに神は真の力を発動し、
太初からの計画通り

私を代理として地上天国を造ろうとされ、
キリストと同様の奇蹟を現す私の弟子は

数十万に及んでいる。

 

 

以上のごとく、

主神の矢はすでに弦(つる)を

離れたのであるから、

 

 


ここにいよいよ

世界革新劇開幕されんとする

直前となったので、

 

 


やがては

血湧き肉踊る驚天動地の場面は展開され、
人類は恐怖戦慄感激興味との

渦の中に巻き込まれ、

 


悲喜交々の人間の乱舞が始まるであろう。


 

というように

太初すでに創作された神のテーマ通り

展開されんとするのである。
何しろそのスケールの雄大にして

多角的なる想像を絶するのであって、
その舞台監督としての私であるから、

 


 

私はこれから千変万化、

無碍の活動力を発揮し、

大奇蹟を現すのである。
その一例として現在一枚七秒間で書いた

光の文字の紙片を懐に入れるや、
キリストと同様の奇蹟を現し、

何万何十万の病者を救い得るのである。
      (昭和29年1月20日)

 

 

御 詠

黒幕を サッと落せば我 

その眩ゆさに眼くらまん