父方の祖父が、亡くなったのは火曜の朝だった。
くも膜下出血で倒れてから約一ヶ月、
日曜日の夜時点で意識回復の見込みはなく、
見守ることにしていた。
日曜、病院に会いに行った時、
なんとなくわかっていた。
だから、じいさんの頭に手を当てて、
「これからは、この金井家を俺と兄貴で守ります」
と約束をしてきた。
今の金井家を創ってくれたのは、間違いなく
祖父だし、誰よりも、その家を守ってきた。
幼少時代から近くに住んで、一緒に育って
きたからこそ、その想いをよく分かっている。
じいさんは、本当に立派な人だった。
最後まで、立派にその生涯を閉じた。
大変口が悪く、80歳になってもテレビでアイドルを見て
「あんま可愛くはねーなあ」なんて笑ってたけど。
子供時代、丁稚奉公に出され、給料をもらえるからと
中野軍隊学校に入り、天皇の護衛をしたことをいつも
嬉しそうに話していた。
国に尽くしたのに、戦後は憲兵だったゆえに戦犯扱いとなり、
公職追放の対象となって、会社勤めはできなかった。
しかし、その逆境をはね除けて、
自ら会社を興して、成功した。
それこそ典型的な「中小企業の頑固オヤジ」の
ような感じで、怖いときもあった。
じいさんの家に泊まりにいくと朝5時に起こされて、
寒風摩擦をやらされることが嫌だったし、
よくわからない体操(筋トレ)みたいなものも嫌だった。
何も、幼稚園児に寒風摩擦はないだろ。
でも、本当に優しくて、遊びに行く度に
嬉しそうな顔をするから、大学時代も頻繁に顔を出していた。
一緒に過ごす時間が好きだった。
年末は皆で掃除に出たし、正月はいつも一緒に
お祝いをしていた。
毎年、誕生日プレゼントをあげるのが習慣だったのに、
来年の正月はあげられなくなるのは残念だ。
一人になってしまう祖母は、
「85まで連れ添えただけで幸せだったんだよね。
誰もが、あきらめなきゃいけないんだよね。」
って、自分に言い聞かせるように話してた。
笑った顔が妙に寂しそうで、泣けてくるぐらい。
動物園と嘘をついて、競馬場に息子を連れて行く
オヤジの代わりに、よく遊んでもらっていた。
だからこそ、思い出の数は、本当に多い。
どれだけの優しさをもらったのか、今でも僕は
きっと分かっていない。
でも、教わったことは染み付いている。
「一家」ではなく、「家族」を大切にすること、
そして、結びつきを大事にすることの大切さは、
近くでしっかりと見せてもらった。
だから、その想いは引き継いでいく。
心から尊敬するじいさんへの、最後の約束。
俺のじいさんは、これで2人とも他界
してしまったけど、2人から受け継いだ想いを
大切にしていきたい。
だから、安心して。
墓参りは趣味の一つ。
足繁く通うから。




