ビートルズのUKオリジナルレコードは、高いから欲しくなるというものではなく、欲しくなったものが残念なことに高かった、と言う場合が多い。たとえば、ゴールドパーロフォンの「PPM」は10万円超が常態である。あまりに安いものはニセモノか本当に状態の悪いものになる。レコード蒐集に熱心になり、眼利きになればなるほど、そんな品との出会いも増えてくる(はず)。

 

これぞ!いう一枚との出会いこそが人生そのものであり、このような手応えを感じたらもう引き返せない。サイトを見なければ(出会わなければ)辛抱できたとわかってはいるが、そのガマンがなかなかできない。あえてレコードとの出会いを求めて行動すれば、きっと「何か」を見つけてしまう。自分好みの何か一枚が、出会いを待っていると考えただけでもうダメ。一度オクで逃せば、青い鳥を探すように二度三度と、ムリヤリにでも探し出してしまう。素晴らしいレコードと出会うトキメキを覚えてドーパミンやアドレナリンがドバドバ出た脳内は、新たなレコードとの出会いが訪れるまで治まらない。修羅道を征き、無間地獄を彷徨うことになる。

 

最近の購入価格は高騰一途。「そのレベルのレコードでは満足できないから、多少無理してでも……」と自分を納得させている。「100万円のブッチャーカヴァーは見ても欲しくならない」が、「諭吉先生3枚くらいなら・・・」。なんとか払える支払いで済むレコだから欲しくなる。いわゆる桁違いのレコードなら、欲しくさえならないのに……。何とか払えるものと、無理無茶までして欲しくなるレコードの差など、実は大した違いはないのかもしれない(と、思いたいだけ)。

「マトリクスが1なので……」とか「マザー・スタンパが一桁だから……」とか「ラウドカットが……」などといっても、ビートルズのレコードを知らない人からしたら、その差などまずわからん世界だろうし、なんのこっちゃと言われるだろう。なのに、マニアにとっては、そのわずかな差に価値が見出され、数倍の値がついているのがリアルな現状なのだ。若いマザー・スタンパをマニアが血眼になって探すのは、プリミティブな状態でモニタリングされたレコードの音が「1G」というわけだ。メンバがOKを出した空気感を感じたい、という訳のわからないマニアの理屈が探索に向かわせるようだ。ただし、そこまでマザー・スタンパの記号に異様に拘っているのは、日本人だけらしい。ほとんどの国の人たちは、そんな記号よりも「レコード盤本体の状態」に価値を置いているようだ。たとえ「1G」でも当方の所有している「針飛び・ノイズバチバチ盤」では価値はなくて、たとえ3桁ザコ盤でもローノイズでスムーズな鑑賞に耐えうる盤を価値が高いと判断しているようだ。結構、1桁スタンパでも溝の荒れた盤は多い。

一般的に”眼利き”とは、このわずかな差を見抜き、その価値を認めることのできる人たちのことらしい。なんとか鑑定団の先生たちはそれができる人なのだ。たとえ3桁スタンパのザコ・レコとラウドカット1桁スタンパとの値段が10倍のひらきがあったとしても、「差」を見出した眼には、何が何でも欲しいレコが”一桁”なのだ。眼が利いて、熱心なコレクタになればなるほど、無理をしてでも「どうしても欲しい……」レコードにめぐり会って(見つけ出して)しまう。

 

「GOLD盤が100万円、無理無理無理ィィィ・・」と買える範囲以外には心を動かさなかった自分が出会った、買える範囲を超えたレコード。マトリクスが1、マザー・スタンパが一桁、なのに価格は数倍……。それでも欲しい、どうしても欲しい、何が何でも欲しい。もうあかん、修羅道と無間地獄のループ。

 

この微妙な差こそが、ビートルズのUKオリジナルレコードが宿命的に持つ味わいの違いであり、価格の違い(高低)になるのであろう。その差に見合う対価を払えるかどうか……。「お前にその資格はあるか?」と挑まれたような。眼利きとはその差を認め、受けとめられる、それに相応しい対価を払える人になるのだろう。特定のレコードの真贋に一家言あるとか、制作年にやたらと詳しいとか、ただ単に金にモノを言わせて数だけ集めるとか、キズを素早く見つけるとかは、まったく別の専門性で眼利きとはいわない。

「眼利き」というのは、いくらお金があろうとサイフは常に厳しいものなのだ。それは懐具合以上の価値のあるレコードを見つけ出す、研ぎ澄まされた眼を知らぬ間に獲得し、その眼が納得(満足)するレコードを探しているのだから、当然です。骨董病とは、眼利きだからこそかかる病です。自分が目利きとは思わないが、もうすでに3桁スタンパのザコ盤が幾ら安くても欲しいとは思わない。

 

レコードの価値(価格)については、買ってしまった好きなレコードは、もう価格の世界とは別の次元の愛蔵品となっています。2万円で売られていたレコードを、それだけの代価を払って買えたということは、そのレコに2万円払っても良いという価値を自分自身が見つけた証拠と言える。1万円を出して”ラウドカット”を買えた自分は、1万円のレコードの価値を実はもう理解している。買ったことのない数十万、数百万円もするレコードの価値を今の自分が「サッパリ分らない」のも当然だ。今の自分は1万円のレコードの目利きになった気分だけ。レコードに100万円を出せる人は100万円までの目利きになり、10万円なら10万円までのUKオリジナルの目利きとなれるはずだ。今の自分は、1万円で買えるUKオリジナルの見分けがついているのだろうか?

 

業は深くて、深淵だ。