カーマン宅近くには、お気に入りのバーバー(床屋)があり、ロシア国籍の体のでかいマイクが、10ドルでいつも散髪してくれた。

 

温厚な性格で、丁寧にもみあげをスパニッシュスタイルに仕上げてくれる。

 

バリカンの技術は、日本とは全く違い、こちらもかなりレベルは高い。

 

 

バイト先もロウワーイースト、イーストビレッジに集中していたため、歩いて全ての行動ができた。

 

学校へは、ビザキープのために形だけ所属しており、ほとんど行くことはなかった。

最低限の出席日数だけは、押さえておいた。

 

 

ミッドタウン(タイムズスクエア)近辺には、ほとんど行くことはなかったので、地下鉄定期券(メトロカード)を80ドルも出して買う必要はなく、アメリカに来て初めて自転車を購入した。

 

坂道の少ない、ニューヨーク、レキシントンアベニュー沿いの夜の街を、チャリで爽快にぶっ飛ばし続けた。

 

 

 

 

続く

プエルトリコ人コミュニティーは、絶大にすごく、不満を言ってもすぐに新しい家が見つかった。

 

同じコンドミニアム内の、"カーマン" という、おばさんの家に引っ越すことになった。

 

 

ここは、完全ファミリーの家で、旦那、息子二人(たまに息子の彼女か嫁 .. どちらかは不明)、謎の孫二人の出入りがあった。

 

確実に住んでいるのでは、旦那、カーマン、弟(息子)のマイケルだった。

 

この家は比較的快適だったが、カーマンが8割スペイン語で話しかけてくるので、ニュアンスで掴まなくてはならなかった。

 

 

アジア人は、少なからず差別をされている部分はあったが、この人は優しく本当に話しやすかった。

 

日常会話には、あまり興味のない自分でも「アメリカの母」のように色々な事(プエルトリコについて、日本との違いについて等)を会話した。

 

いつも夕食には、伝統料理である、"ライス&ビーンズ、チキン丸焼き" を提供してくれた。

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな心地よい生活も長く続かず、理由はわからないが、この家も退去しなければならなくなった。

 

数分離れた、ルームオーナーの娘のコンドミニアムの一室を借りることができた。

 

広く快適な場所だったが、夜帰宅しドアを開けた途端、黒い物体が大量に "ササッ!" と動き出した。

 

ロウワーイーストサイドのコンドミニアムは、お世辞にも所得の高い人達が住んでいないとはいえ、結構な広さはあるのだが、盲点はやはりあった。

 

絶対無理な環境だったので、一日で引っ越した。

 

 

続く