ニュースで見た映像はひどいものだった。

そのあと、イラクの街角の食堂のテレビに、この暴行場面が映った。

これを見たイラク人のおっさんは英兵に憤慨していた。

これって、すごく健全じゃないのか。

普段乗らない路線のホームに出たら、ちょうど電車が出発するところだった。

電車に飛び乗り、ドア際の隅に立って、心の中で今日はいいことあるかも、ってちょっと思った。

それにしてもなんてさわやかな車内なんだろう。

僕がいつも乗る路線とは大違いだ。

そこに車内アナウンスが流れた。

「女性専用車両は○両目でございます。」そっと辺りを見回すと女性ばかり。

窓の外はよく晴れた青空。

次の停車駅まで、しばし目を閉じる。

夢を見たときに、おいしいものが出てきて、食べたためしがない。
夢が続いていても、場面はまったく変わっていて、さっきおいしいものを食べようとしたことだけは覚えている。
どこかの(誰かはわからないが理想的な)女の人と、キスする直前までは覚えているが、また場面は変わっている。
誰かに追いかけられるような悪い夢でも、捕まったことはない。
それより、その追いかけてきた人間と普通に話し合っている場面に切り替わることもあった。
夢の間には、とんでもない冒険がつまってるのだろう。

会社で昼ご飯のごみを捨てに行ったら、ごみ箱が一杯だった。
蓋を押してごみを中に入れるタイプのものだが、その蓋が奥のごみに引っかかってびくともしない。
蓋を取ってごみを放り込もうとしたが、ごみがこぼれ落ちそうになり、それもできない。
しょうがないので、蓋に足を突っ込んで、ごみを踏みつけて圧縮することにした。
ごみ袋から思わぬ汁などが飛び出ないように、慎重にかつ力強くぐいぐい下のほうへごみを圧縮した。
コンビニの弁当だろうと思われるプラスチックがバリバリいう音がした。
もう一押し、とどめを刺そうと、さらに足をゴミ箱の奥へと突っ込んでいると、他部署の女の子がごみを捨てにやって来た。
彼女は若くてかわいい人気者なのだった。
「あー、これは。。。ごみを回収してないみたいで、ごみ箱が一杯なんだよね」
彼女は怪訝な顔をしていたが、「そうなんですかー」と語尾を上げて言い、笑顔のままそこにとどまっていた。
どうやら、僕がごみを圧縮させるのを待って、自分もごみを捨てようという魂胆らしい。
僕は、彼女がごみを捨てるスペースも空けなければならなくなった。
しかし、どうせ乗りかかった船なので、ここは男らしくさらにごみ箱の奥に向かって足を突っ込んだ。
バキバキと勢いのよい音がして、十分にスペースは確保できたようだった。
幸いごみ袋から汁も出ていない。
僕はごみ箱から慎重に足を抜き去ったが、同時にごみ袋が反発して、せっかく空けたスペースが少し減ってしまったようだった。
僕はごみ箱の前へと彼女をエスコート。
ごみを捨てるのもレディーファーストなのは当然だ。
彼女は「ありがとう」と笑顔で、ごみ箱にごみを放り込み立ち去った。
その後、僕は自分のごみを捨てようとしたが、彼女のごみは意外に大きく、僕は自分のごみを奥へとねじ込まなければならなかった。

年末以来、2週間ぶりぐらいにサッカーしたら肺が苦しかった。
いつもより運動量は少ないが、肺の酸素摂取量が少ない感じ。
息が切れやすいというか。
やる前にちょっと柔軟体操をしたら、伸びがかなり悪いし。
でも、伸びてる感じが気持ちよかった。
正月は初詣に行った以外はほとんど動いてないから、それもしょうがない。
明日は試合だけど、体力が持つかどうかが心配。

毎年日本で登録されている犬は150万を超えるという。
一方、日本に生まれる赤ちゃんは107万人程度らしい。
僕が犬を飼っていた経験からも、ほとんど家族と同じだ。
犬もいい時代に生まれたものだ。
徳川綱吉以来の好待遇を享受してますな。

今年も宜しくお願いします。


先日の財布を落とした話について、周りの人に財布を拾ったら届けるかどうか聞いたところ、意外にも届けない人もそこそこいた。
その後の財布は捨てるらしい。
多くの人は絶対に届けるか、すぐに追いかけたりするのだそうで、僕もそうなのだが、その時の心境はどういうものか考えてみた。
すぐに追いかける場合は、中身を見る余裕もないので、とにかく落ちたものを渡すという気持ちで一杯だろう。
拾って届ける場合、正直、ぼくはたぶん入っている札の様子ぐらいは見ると思う。
もしかしたら、名前を確認する何かまで見てしまうかもしれない。
一瞬このままお金を取っても誰にもわからないと考えるような気もする。
けど、間違いなく現状維持のまま財布は届け出るだろう。
落としたその人は困っているだろうし、自分自身が財布のことで自分の心に負荷を与えることは汚点になるだろうから。
もちろん、ここまで悩まず、拾ったものは届けるのが当たり前だと思う自分もいる。
届ける多くの人も当たり前の感覚だろう。
逆に届けない人は、何で届けないのか?
お金を拾えてラッキーという理由ばかりだった。
もちろん、僕も道端に1万円札が落ちていたら、もう少し迷うだろう。
でも、たぶん届ける。
その1万円は落とした人にとって、かけがえのないものであるかもしれないと思うと、届けてしまうように思う。


世の中にはいろんな人がいて、色んな考えで生きている。
何となく思うことは、みんなが拾った財布は届けるような社会だと、今より色んなことが良くなるんじゃないかということだ。
なら、届ける人と届けない人の違いは何だろうか?
僕に子供がいたら、そういうことを考えて、育てたいと思う。

仕事を定時で切り上げ、難波の遺失物センターに行き、財布がないことを確認。
本町の交番で借りた千円を返しに行く。
交番に誰もいないので、交番指定の番号に電話をかけ、わざわざ警察官に戻ってきて貰い千円を手渡しする。
社員証や免許証などプライバシー関係のカードが心配。

先日から風邪で、仕事にしわ寄せが来てしまい、今日はサッカーの試合の予定だったのが、仕事をしていた。
そして、その帰りになんと、財布を落としてしまった。
電車の中か、ホームか、それは謎。
プレゼントを貰うかわりに誰かにあげてしまったかも知れない。。。
駅で無一文になったのは初めてなので、届出を出した警察のおじさんに千円を借りる。
その後は急いで家に帰って、クレジットカードやキャッシュカードの手続きを終えるとくたくた。
とりあえず、被害は数万の現金と若干の鉄道回数券におさまりそう。
落とした現金よりも、色々思い返して様々な要因が重なって財布を落とした事実のほうを考えるとかなりブルー。
その後は、憂さ晴らしも兼ね、サッカーの人たちと合流して忘年会に行く。
落ち込んで、家にいても「うーむ」ってなってしまいそうだし。
「一年の厄落としやん」「ふぐぁ」なんてネタにして笑うと、少しは気分も晴れたような気も!?

厚生労働省が日本の人口が減少したという統計を発表した。
100年後には現在の半分の6400万人になるという。
人口が増える社会に生きてきたから、少し違った社会になるのかなというイメージはある。
産業面では、既に住宅着工数が減り続けているというし、薄利多売で儲けようにも多売ができなくなるなどのニュースを見かけた。
ところで、新聞の記事に、かつて日本が6400万人の人口であったのは1929年の頃だとあった。
ざっと80年前のことである。
すると、今後は今までと同じように急激に人口が減少していくということだ。
似たようなグラフを思い出した。
バブル時代の土地、あるいは株のグラフである。
大体1985年ごろから急激に上昇しその後10年ぐらいで落ちた。
バブル経済の前はおよそ売上高重視の右肩上がりの経済成長に則った経営、現在はどうやら低成長の巨大な経済規模に適応した利益率を重視した経営に変わりつつある。
人間にそのまま当てはまるとは思わないけれども、これからは労働の質がより問われるのだろうかと思う。
さておき、経済の「バブルの頂点」にいる人たちはまだまだ過熱していて、先が見えない状態だった。
人口の「バブル」にいる私たちには先が見えている。
というより、竹中総務相が言うように数十年前から見えいていたのに、有効な対策が取れていなかった。
例えば社会保障は、老朽化したパイプの水漏れを防いでいるような状態だ。
国の場合は、ゆっくり考えている暇はなさそう。


そう言えば、世界ではまだまだ人口の増加は続き、2050年には90億人ぐらいになるらしい。
世界はまだまだ、人口増加の最中だ。
現在日本のマーケットに限界を見た企業は、12億人の中国のマーケットを開拓するのに血眼だ。
中国は人口の成長は止まりつつあるが、最近はインドだったり、ブラジルだったり世界の成長有望市場の話題も多い。
世界中が豊かになればいいと思うが、先に莫大な資本を溜め込んでいる先進国によって、これらの国に利益が国民にそれなりに公正に行き渡るのかと少し心配に思う。
それから、世界中が日本みたいな浪費的生活をすると、地球の資源はすぐに枯渇してしまうのではないかと思う。