(都民ファの厚生委員会のメンバー)

今日、東京都の障害者差別解消条例についての質問を
厚生委員会で質問しました。


私は、ズバリ!!

スペシャルニーズ当事者の目線で質問しましたキラキラ

想いのたけを今日も思いっきり質問に込めました爆  笑


よかったら読んでください。

 2006年国連において「障害者権利条約」が採択され、2008年5月に発効しました。それからちょうど10年がたち、ようやく都議会に「障害者差別解消条例案」が提出されるに至りました。ダウン症児の母親としては「よかった」と思うと同時に、「まだ差別はダメよっていうところにいるのかー」というような複雑な想いではあります。とはいえ、これは大きな一歩となると確信しております。

 さて一般的に、「差別」というと、仲間はずれにしたり、ののしったり悪口を言ったり、不当に危害を加えたりするイメージを持つかと思います。しかし障害のある方、つまりスペシャルニーズのある方に対する差別は、そのような分かりやすい形だけではなく、「差別ではないふり」をして行われることも多くあります。つまり「障害以外の理由」を色々と並べ、「正当な区別なのだ」としながら、結果としてサービスの提供をしないなどの差別をするのです。また差別をする側は、悪気がないことがほとんどで、「差別している」という認識さえないことが多いのも現実です。

 我が家の例で言いますと、私がシングルマザーになったばかりの頃、仕事を探すために「一時保育」を利用せねばなりませんでした。ある保育園のHPには、「生後5ヶ月から就学前まで集団保育が可能な児童」を対象に一時保育を提供すると書いてありました。息子は当時2歳で、シングルになる前アメリカでは一般的な保育園に通い、集団保育を受けていました。息子を連れてその保育園に面接に行くと、「歩いていない」ことと「離乳食」であることを理由に、あずかることを拒否されました。生後5ヶ月の赤ちゃんは歩けなくて離乳食であってもあずかるのに、2歳で歩けず離乳食であるなら受け入られられないというのは、全く理由になっていないと感じました。つまり「ダウン症がある児童は受け入れられない」ことを直接言いにくいことから、理由をひねり出したのだなという印象を受けました。自分の子供が、障害を理由に社会から差別され排除されるという経験は、思いのほか傷つくものでした。アメリカでは一切差別をされたことがなかったので、日本に戻って早々に受けたこの対応に、「これが日本の現実なのか」とショックを受けました。スペシャルニーズのある方の家族や当事者は、大なり小なり、こういう経験をしながら日々生きています。

Q1. そこで今一度、この条例における「障害を理由とする差別」とはどのようなことなのか教えてください。


ー都庁福祉保健局答弁ー
○条例では、第7条で障害を理由とする差別の禁止について規定しており、第1項では、「都及び事業者は、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない」、としている。
○障害の有無とは関係のない事項ついて、障害者が申し立てたものであっても、不当な差別的取扱いには当たらない場合も想定されることから、法及び条例では、「障害を理由とする」という文言を加えている。
○例えば、国の事例集では、飲食店等の接客態度について、挨拶がなかったり丁寧でなかったりする場合には、「障害の有無とは関係ない普段の接客態度にいたらない点があっても、不当な差別的と取扱いには当たりません」としている。一方で、障害の有無によって接客態度を変えているのであれば、不当な差別的取扱いに当たるとされている。
○障害という理由が示されない場合における、不当な差別かどうかの判断は、具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に行われる必要がある。

 
 「障害を理由とする差別」かどうかは、総合的・客観的に判断するということが分かりました。「差別か差別じゃないか」問題の次に出てくるのが、「合理的配慮」なのか「過度の負担なのか」ということになるかと思います。

 障害者権利条約には、「合理的配慮」「障害者が、他の者との平等を基礎として、全ての人権および基本的自由をし、または行使することを確保するための、必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡をした又は過度の負担を課さないもの」と定義されています。

「合理的配慮」を求めるスペシャルニーズのある方に対して、サービスを提供したくない事業者等が「これは過度の負担である」と主張することがでてくることが予測されます。

 差別であることを認識してもらい「合理的配慮まで提供をしていただく」のは、スペシャルニーズのある方にとってはかなり高いハードルです。スペシャルニーズのある方達は、これまでの長い歴史の中で圧倒的に立場が弱く、そもそも対等に交渉をすること自体ができないできました。この条例が施行されてもなお、泣き寝入りせざるを得ないケースが出てくるのではないかと心配しています。

Q2. 事業者等と合意に至らない場合、スペシャルニーズのある方はどうしたらいいのでしょうか。条例案には相談や紛争解決をすることが記されていますが、具体的な方法を教えてください。


ー都庁福祉保健局答弁ー
○事業者や障害者から相談がある場合、差別解消に関し知識経験を有する「広域支援相談員」が、事業者、障害者双方から話を聞き取り、助言や調整を行うなど、個々の事例に丁寧に対応する。

○また、相談により解決が見込めない場合には、知事が事実を調査し、必要と認めるときは、学識経験者、障害当事者、事業者等で構成される調整委員会にあっせんを求める。

○さらに、調整委員会のあっせん案に正当な理由なく従わないなど悪質な事業者に対しては、勧告、公表ができる。


 相談体制が、双方から話をきいて、調整等をするということで、心強いです。ぜひスペシャルニーズのある方達の声に寄り添い、力となってください。

 さて、合理的配慮で、よく例え話として挙げられるのが、車椅子を利用する方のためにスロープをつけることを求めるのは過度な負担であるが、職員が車椅子を持ち上げて段差を乗り越えることは合理的配慮だという話です。

 しかし、例えば、校門の段差を埋め、段差等にスロープをつけ、トイレを一つ改修すれば、車椅子を利用している児童が特別支援学校ではなく地元の学校に通えるようになるのだとしたら、これはやるべきだと私は思います。一見たった一人の児童のために、これだけのことをするのは「過度な負担である」と見えるかもしれません。しかしこれらを実現することで、その後、その地区に住む車椅子を利用する児童がその学校に通うことが可能になります。だからこれは「合理的な配慮」だと私は考えます。しかし学校側は「過度な負担」だと主張するかもしれません。

 多くの方が利用する可能性がある場所で、一個人の要望としては「過度な負担」に見えるものでも、「環境を整備」することで、多くのスペシャルニーズのある方が利用できる可能性が広がるケースについては「合理的な配慮」がなされるべきです。

Q3. 「合理的配慮の提供」と「環境整備」の関係について、都の考え方を教えてください。


ー都庁福祉保健局答弁ー
○合理的配慮の提供とは、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、当該障害者と建設的な対話を行い、その実施に伴う負担が過重でないときは、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするものである。

○また、環境の整備とは、不特定多数の障害者に合理的配慮を的確に行うため、ハード面でバリアフリー化、情報アクセシビリティの向上、職員に対する研修等の対応をすることである。

○本条例では、都及び事業者の合理的配慮の提供について、義務としているが、障害者差別解消法では、行政機関及び事業者の環境の整備について、努力義務とされている。

○法に基づく国の基本方針では、合理的配慮を必要とする障害者が多数見込まれる場合や障害者との関係性が長期にわたる場合等には、その都度の合理的配慮の提供ではなく、環境の整備を考慮に入れることにより、中・長期的なコストの削減、効率化につながる点が重要であるとされている。

○合理的配慮の提供と環境整備の推進に努めていく。



今後、一見、過度な負担に見えるものでも、きちんと状況を検証すれば、「環境の整備」だと言えるものも出てくると思います。東京都はぜひ状況をしっかりと聞き取り、「環境の整備」が必要だと思われるケースであれば、ぜひ整備を推進するようにしてください。



 続いて「手話」についてです。

この条例で「手話が言語である」と定められたことは、非常に大きなことであります。

私ごとですが、息子とは0歳からアメリカ手話を使ってコミュニケーションをしてまいりました。1歳頃から息子本人も手話を使い始めて、5歳となる今も、まだお話はできませんが、いろんなことを手話で伝えてくれます。しかし、残念なことに息子が家庭以外の場所に行くと、周りに理解してもらえることはないので、手話が伝わらないことが彼の世界を広げる妨げになっています。

 アメリカ手話は1960年にアメリカで言語として認められ、今では、私が住んでいたカリフォルニアの私が住んでいた地域では、高校や大学の言語の選択授業で学べるようになっています。そのため手話を使える人が日本に比べてかなり多くおりました。私自身もコミュニティーカレッジでアメリカ手話を1年間勉強しましたが、驚くほどたくさんの方が受講していました。しかも先生は全く聴こえないデフの方でした。手話を使える方が街の中に増えると、手話をメインの言語として使っている方達にとっては、社会の中のバリアが少なくなったと言えます。Hi! Thank you. Sorryなど子供から大人まで多くの方が知っている手話単語もいくつかあります。難しい会話はできなくとも、挨拶程度を多くの方が手話で話すことができれば、手話ユーザーは社会との繋がりが大きく変わります。手話がより社会に浸透しているアメリカでは聴覚障害以外でも、話し言葉でコミュニケーションが取りにくい方たちや赤ちゃんも使っていました。

 東京でも、手話を言語として認めることで、教育の機会が増え、そして5単語くらいからでもいいので、広く一般的にみんなが知っている手話単語があるくらいに手話が普及されることを望みます。

Q4.手話の普及について、都の具体的な取り組みを教えてください。


ー都庁福祉保健局答弁ー
○障害者差別の解消を図るためには、障害者が円滑に意思疎通できる環境の整備が必要であることから、本条例では、情報保障を基本的施策の一つとして規定している。
○都は、現在、聴覚障害者の意思疎通を支援するため、手話通訳者の養成や各種の講習会の実施、大学生向けの手話普及イベントの開催など、手話の普及に向けた様々な取組を行っている。
○また、今年度から、遠隔手話通訳が利用できるタブレット端末を、都のイベントや会議等において利用・体験してもらえるよう、都庁内の各部署に貸し出す事業を開始しており、こうした取組を通じて、聴覚障害者の意思疎通支援の充実を図っていく。


 ありがとうございます。手話の普及に今後とも一層取り組んでくださるようお願いします。アメリカのコミュニティーカレッジでは、アメリカ手話をオンラインで学ぶクラスもありました。オンラインだと仕事をしている方らも、学ぶことができます。それから幼児番組の中で、手話がジェスチャーのように取り込まれていたりもしました。ぜひそんなオンラインや子供向けの取り組みも増やしてくださいますようお願いします。

 いろんな機会でお話させていただいていて、くどいかもしれませんが、私は「障害」という言葉そのものが、「劣っており」「不完全」であるかのような印象を与え、同情や哀れみを伴った差別をする意識を生み出すと考え「スペシャルニーズ」という言葉を使っています。障害という言葉を使っている側に悪気がないことは十分承知していますが、息子に対して「障害児」と言われるたびに、「障害児である前に、息子はみんなと同じ5歳の男の子だということを忘れていませんか?」と叫びたくなります。それくらい嫌だと思っている方がいることも知っていただきたいです。

 かつて「認知症」は「痴呆症」と呼ばれていたのを覚えていますでしょうか?しかし痴呆症は「あほう・ばか」と通じ、侮蔑的な意味合いのある表現であることから、高齢者の感情やプライドが傷つけられる場面が日々生じているとして、「認知症」に改められました。現在ではさらに「もの忘れ外来」「メモリークリニック」などと配慮した表現が使われるようになりました。

 法律や条例の中の用語として「障害」を使うことを変更することは難しいことはわかります。しかし行政窓口や一般的に話しをするときに「スペシャルニーズのある方」「特別な配慮や支援を必要としている方」というように言い換えていく努力をしていただきたいです。これは過度な負担がなく、合理的配慮ではないのでしょうか?ちょっとした言葉遣いが、人の認識を変えていきますので、どうぞ東京都でも条例施行とともに、そういう配慮を進め、そして普及していただけますよう要望して質問を終えさせていただきます。