流産確定後の日々。 | ~天国からの1週間~天使ママ→不育症乗り越え3児ママになれた彩衣里(あいり)ママのブログ。

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◆2012.9.12◆第1子→39週で死産
◆2013.7.13◆第2子→稽留流産
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◆2016.1.16◆第4子→稽留流産
◆2017.6.6◆第5子→待望女の子無事出産
◆2019.4.4◆第6子→3人目無事出産!
彩衣里ママの心のブログをつづっています。

こんにちは。
彩衣里(あいり)ママです。

流産確定したであろう7/13から14日目が経過。

私の身体は相変わらず、何の変化もない。



ナプキンをしてて下さいと言われてから、8日目が経過。

ひっっっっっとつも、ピンクの色も付きやしない。


しいていえば、2~3日前にちょっとだけクリーム色のオリモノが
少し増えたくらい。

まさか?子宮ちゃんががんばってる??⇒その後特に量は軽減&血もでない。



お腹が少し痛いかも??まさか??そろそろ来る???

なんて思った時もあったけど、⇒その後、トイレ(大)行って、治る。




そんなこんなで、私はいつまで待てばいいのでしょう。

杉WCに行くはずだった7/24(水)も行かなかった。

次は8/1(木)に流産を宣告された病院に行くことになっているが、

その時はもう10週。



私が医師の指示を受けたのは、

自然に降りてくるのを待っててくださいと言われたけど、

他の人は、早急に流産手術する人の方が多い。


外国では自然に待つ派が多いみたいなんだけど、

日本(人)は、やたら手術を勧めるらしい。

(※感染症の危険性や、次の妊娠に向けて残留物を残ってる人が再手術する人も)



ネットで体験談などを検索よく見てると

流産手術をしている人で、だいたい10週でやってる人が多い。


私は、のん気に待ってていいのだろうか。

次に行った時に、じゃぁ、今からやりましょうかなんて言われないかな??


私、土壇場、苦手なタイプなのに~~。





ま、今は待つしかない。

手術になったらしょうがないけど、

私も、できるだけ自然に待ちたいタイプ。

チビちゃんのマイペースにお任せするしかないんだけど、

さすが、二女ね♪

私も二女だから気持ちが分かる。

行きたい気分にならないと動かないもんよね~(^^)

マイペースな妹ちゃんに付き合う彩衣里(あいり)ママでした。




そんなこんなで、

毎日ブログ書きたいことは山ほどあるんだけど、

書く気分になれない時もあり、

書きたい時にまた長文になりまくりですが、

お時間ある方は、また、お付き合いくださいませませ♪




あれから、流産宣告を受けた日7/18(木)から、

ぽっかり空いた静かな時間。

毎日やっていたヘパリンの時間。

朝の8:00と夜の20:00.


手帳には、ヘパリン卒業生で無事にお子さんを産んだブロガーさんの真似で、

注射した時間と打った場所を書くようにしてた。

photo:01


photo:02


(汚い字気にしないで)

特に打った場所は10カ所をローテーションで打っていたので、

うまくかぶらないように記録していました。

通算40本で、この記録が終わるなんて想像もしなかった。

100本目記念にはお祝いしちゃおう~なんて思ってたりもしていた。



ヘパリンの時間、あんだけ闘ってた時間、

赤ちゃんの命綱と信じていたヘパリン注入をする特別な時間、

「チビちゃんに届け~~」と毎回痛がりながらも我が子への特別な時間。


朝は特に、今ハマってるNHK朝ドラ「あまちゃん」とヘパリンは

セットで朝の大きな仕事だったので、今ですら既にこの生活が懐かしい。



同じ時間帯なので、あまちゃんを見る為には、

ヘパリンをギリギリ直前に打ってから、その後にソファでゆっくりしながらあまちゃんをみる。


7:30~朝ごはんを食べ

7:45~TVを1チャンネルにセットしてから、注射の準備をし始める。

7:50~5分間でヘパリン(慣れない為このくらい時間かかる)

7:55~片付け

8:00 ご褒美にゆったり「あまちゃん」


このヘパリン生活が、約3週間だけだったが、

慣れてきた頃だったので、

いざ、ヘパリンがなくなった朝、すっかり、あまちゃんを忘れていた。


私があまちゃんを忘れていたことに旦那さんがビックリ。

「もう始まってるよ??」

旦那さんの声に初めて気付く、既に10分は経っていた。。


ヘパリンをやらなくていいんだ、、という、少しは解放された感と、

寂しい感と、私の仕事が無くなったと思うと、

セットで動いてたあまちゃんの存在すら忘れていた事に自分もビックリした。

(それほどぼーっとしていたのか?)


夜も、いつもなら20:00のヘパリンに合わせて

18:30 スーパーで買い物から家に帰る

19:00 ご飯支度

19:30 夜ご飯

19:50 後片付けを旦那さんに任せ、注射の準備に入る。

20:00 ヘパリン完了


こんな感じだったので、

早くご飯の支度しなくていいんだとか、

20:00にご飯食べてるとすごく時計が気になっちゃったりする時に

すごく虚しくなる。

静かなご飯になったりもしたな。

今でも、ふと20:00に何もしない自分に思いふける時がある。



妹ちゃんが生きていた証とすれば、エコーの写真と

このヘパリンの思い出と、注射の跡。

こんなにひどいアザも
photo:03


photo:05


↓ ↓ ↓ ↓
photo:06


photo:08



今では、少しずつなくなりつつある。

打った跡の中で1番痛くてアザが残っていた太もも部分も

今ではスッカリ消えている。


腕の部分も夜中、寝返りを打つたびに

二の腕の外側のヘパリン跡の部分が痛くて

何度も夜中、みけんにシワ寄せて、寝苦しい夜も

今では、すんなり寝返りして何も感じないようになった。


そんな最後のアザが、もう少しでなくなりつつある。

嫌で、できればやりたくないと思っていたヘパリンの跡も

なくなると寂しくなる。


生きていた証。

お腹で実感することはなくても、ちゃんと妹ちゃんを感じることはできたかな。


パパなんか、今回は1番実感しにくかったと思う。

一緒に注射を手伝ってくれてたという部分では、

一緒に頑張れた感や、小さい命に残念に思うことはできたかな。



お義母さんに電話で言われたらしい。

「今から体が辛いのは〇〇さん(彩衣里ママの名前)なんだから、あんたがしっかり助けてあげるんだよ。」

って。

なので、妊娠が終わった体になってしまっても変わらず、

ずっと家事を積極的にがんばってくれています。

ありがたい。


そして、毎日ご飯食べる時と夜寝る前はお互いに対して

「いつもありがとうね。」と言葉にして伝えるのが夫婦の日課。(義務ではなく)


パパには、いつもお仕事と家の事たくさんしてくれてありがとうねという思いを込め、

ママには、体つらいのにご飯用意してくれてありがとうねという思い。

(ま、弁当の日も多かったけど・・・^^;)



そして、そして、最近ギモンというか、悩み?がひとつ。


いつもね、ご飯の時に、飲み物はビールかノンアルか、麦茶とか水とか

(今はノンアルだけど、以前飲めた時は晩酌とか)

朝も、昼も、夜も、

毎日、彩衣里が天使になってからずっと、

彩衣里が1週間家にいた時に習慣づいたものなんだけど

乾杯する時に、

まずは夫婦で乾杯。⇒「いつもご苦労様。ありがとうね。いただきます。」

セットで続けて、彩衣里(写真&お位牌とかあるテーブル)に向かって

⇒「彩衣里(あいり)、いただきま~す(^^)」


って、いつも毎回、彩衣里とも乾杯してるんですね。

もうかれこれ?10ヶ月そういう生活です。


神様にご飯頂きますみたいな作法みたいなある人と同じ感覚で、

天使様、彩衣里にもいただきますみたいな気持ちと、

ま、1番は一緒に食べてる感覚で。




で、今回妹ちゃんが天使になり、

あまり実感が沸かない今ですが、夫婦ですが、

変わらず「彩衣里、いただきます!」って言ってからご飯食べます。


果たして、妹ちゃんは入れなくていいのかな?と思ってしまうママ。

そんな大したことない?悩みはまだ旦那さんには言ってないんだけど、

そもそも、性別を勝手に決めてる時点で、妹ちゃんと公言していいのかも分からず、


まだ、彩衣里だけなんですが。。。

これからどう変化するのか、、、、もう少し時間がかかるのかな??

天使パパ(旦那さん)を観察しつつ、試行錯誤してみようと思います。




ではでは、また書きます!

最後に、気分転換にやってみた初のセルフジェルネイル。
photo:07



家でヒッキ―なので、ちょっとだけ気分上がりました。

このゆったりした気持ちで妹ちゃんものんびりしてるかなぁ~♪

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