最近、人間関係について考えることがあった。


何かうまくいかないことがあると、私はわりとすぐに「私が悪かったんだな」と思う。


言い方が良くなかったのかもしれない。

気遣いが足りなかったのかもしれない。

選択を間違えてしまったのかもしれない。

もっと違うやり方があったのかもしれない。


そうやって考えているうちに、本当に自分が原因だったんだと納得する。


これは謙遜でもないし、自分を良く見せたいわけでもなくて、

本当にそう思ってること。


だから私は、人間関係で何かが起きた時に「相手も悪かった」と考えることがあまりない。


まず先に、自分の至らなかったところを探す。

もちろん、実際に私が悪かったことは沢山ある。

誰だって完璧ではないし、自分の未熟さに気付くこともある。

だから反省すること自体は大切だと思っている。


でも最近、自分を責めることと向き合うことは別なのかもしれないと思うようになった。


私はずっと、自分を責めることが反省だと思っていた。


自分が悪かった。

次は気を付けよう。

もっとこうしよう。

そうやって考えることが向き合うことだと思っていた。


でも本当に向き合うというのは、もっと複雑なことなのかもしれない。


なぜそうなったのか。

私は何を感じていたのか。

相手は何を感じていたのか。

何がすれ違っていたのか。

そういうことをひとつずつ考えていく。


そこには、自分の悪かった部分だけではなく、自分の感情も含まれている。


本当は悲しかったのかもしれない。

傷付いていたのかもしれない。

納得できない気持ちもあったのかもしれない。


でも私は、そういう感情をあまり見てこなかった気がする。

自分だけが悪かったと自分を納得させてたから。


自分が悪かったのなら、悲しむ資格なんてないような気がしていた。

納得できないと思うのも違う気がしてた。

だから、自分の気持ちより先に反省をしてた。

それが誠実さだと思っていた。

今も間違いだとは思っていない。

ただ、それだけでは足りないのかもしれないと思うようになった。


人間関係は、誰か一人が100%悪いということばかりではない。

だからといって、相手が悪いと言いたいわけでもない。

ただ、自分が悪かったという結論だけで終わらせてしまうと、見えなくなるものもあるのだと思う。


最近は、何かが起きた時にすぐ結論に至るのではなく、一度考えるようににしてる。


私に悪かったところはなかったかな。

私は何を感じていたんだろう。

相手は何を感じていたんだろう。

本当は何が悲しかったんだろう。

そんなふうに考えてみる。

まだ上手くはできないけれど…

気づけば今まで通り、自分が悪かったんだと結論を出したくなることもある。


その方が慣れているから。


でも、自分を責めることと向き合うことは同じではないのかもしれない。


最近ようやく、その違いが少しだけ見えてきた気がしている。

答えはまだわからない。

それでも、「私が悪かった」の一言で終わらせずに、その先にあるものも見てみたいと思えるようになって

なんだか心が少し軽くなった。