タイトルみたいな話が地味に熱くなってきてたみたいです。
軽く見てみた感じ、
「お金持ってる人と、ギリギリ買ってる人のプライドのせめぎ合い」
みたいな空気しかなかったんですけど。(個人の感想です)
いまのデジタルでどうこう言えないんですけれども、
1990年代に写真家が言ってたことをいまでも覚えてます。
とあるライカM5だかM6で撮影されたネガカラープリント(自動焼き)を見て呟いたんですよ。
「ライカはここが潰れへんねん」って。
シャドウの部分を指差しながらの一言だったんですけれども。
その人は普段マミヤRZで仕事をされてる方。
どう考えても広告で35mmレンジファインダーは不向きってことを理解した上でRZを使ってる感じでした。
そういう人がライカの良いところを言うってのは、やっぱり何かを感じてたってことなんですよね。
もうちょっとぶっちゃけると、当時はフィルム時代ですから、その「凄さ」の本筋はレンズ一択だったと言っても怒られないと思うんですよ。
いまはデジタル全盛ですから、その良し悪しをどうやって語るか?みたいな話がとても難しいんですけれどもね。なぜならレタッチが自由自在だから。(とは言えアンダー3段のjpegをPCで補正したらディテールが出てくるらしいので、ライカやべえというのはいまも生きてる話だと思います)
だからこそ言えることがあって。
どんだけカメラが良くても、下手な人は下手だし、上手い人は上手い。
カメラの能力をどこまで引き出せるかは、その人次第でしかない。
ある日突然ライカを渡されて、
「これだったらすごい写真撮れるんでしょ?」
みたいなことを言われても、
やっぱりいつも使ってるカメラと同じくらいの時間をかけて完熟して行くのだから
「無理」
って返すのが妥当だと思うんですよね。
道具のクセは、ハイエンドほど強いです。
たとえばぼくはD800で仕事してますけれども、手ブレは他のカメラよりシビアです。
あの時代のカメラとしては、画素数がハンパないから買ったのですけれど、オフセット印刷でB3サイズフルで使える期待とトレードオフで、ちょっとのブレが「仕事で使えない写真」を生むのがわかるまでに、割と時間を要しました。
なので完熟時間が必要なんです。
それはどんな機材にも必要。
その時間を圧縮するために質の良い三脚を使ったり、ライティングを構築したりするわけでして。
「なんでこの機材でこんなに下手なの?」
って言われたくないから、みんな腕を磨いてます。
とりあえずこの論争に何か言いたい人は、まずライカを一式買ってからになるんじゃないかなあ、と思ったのでした。
え?
ぼくですか?
ぼくに買えるわけないじゃないですか、一式100万単位のカメラシステムなんて。
それだけ出せるならNikon Zか、Fujifilmの中判デジタル買うと思います。
それか新しいMac買う。
あれは「持てる人のカメラ」なんですよ、ええ。
貴族の会話は眺めるのが一番ってことです。
参加するもんじゃありません(笑)