「鯛は頭から腐る」
という諺があるそうです。議員さんが質問で使ったことで有名になったらしいんですが。海外の言葉だそうですね。
魚を取り扱った経験が少ないと、そういう言葉を使うんだろうなと思うわけです。
あるいは魚を「そういうものだ」として扱っている場合とか。
鯛に限らず、魚は放置すると腐ります。
全体がどんどん臭くなってくる。
なにも処理しない魚をまるごと1匹冷蔵庫に入れていれば、そうなるのは必然です。
また海外の魚の扱いは、わりとテキトーな印象が強いです。
一度フィレンツェの市場を訪れたことがあるんですよ。
2000年くらいかな。ものすごく昔ですけれども。
肉はいろいろ充実してたんですが、魚売り場はすごい臭いだったんですね。
海外の言葉ということで、上記を思い出したんですが。
魚は臭うものだとして扱っていれば、そうなるかもしれません。
とにかく日本との意識の違いを目の当たりにしました。
何が違うというと、日本ほど生で食べることに血道を上げる国はなくて、考え方自体が全然違う。
どうやって鮮度を保つかとか、腐らないようにするとか、旨味を引き出すとか。それを家庭レベルでやってたりもする。
対してあちらでは、そもそも魚は臭いものだ、と思ってるフシがありました。
まあ、あちらは、肉だったとしても臭いものは臭いんですね。
たとえばイノシシの首のハムを買ってみたら、ものすごく獣臭があたりまえだったんですが、それを旨味としている感じがありました。
たぶん赤ワインと合わせるといいんでしょうね。経験が少ないので推測ですが。
チーズだって臭いじゃないですか。
臭みは旨味だと思っているなら、魚が臭いを発していても気にしないのかもしれません。
内陸部とはいえ市場ではそんな感じだったので、もともと臭い魚が「どこから腐ってくるのか?」「実はもう腐っちゃってるのか?」などについて、見かけで判断できるものなんだろうか? という疑問が生まれます。
そうなると「腐る」の鮮度判断は頭なのかもしれないなあと、思ったのでした。
それともなにか別の根拠があるのかな?
いま、海外の市場事情がどうなってるのかは知りません。
流通や意識がどう変化しているのかについての知見がないので。
海外の「鯛(魚)は頭から腐る」という言葉は「組織の上層部から腐る」ことを指すようなのですけれども、日本での魚の扱いを見る限り、腐り始めるのは別の場所です。
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さて。
魚を自分で取り扱っていると、どこから腐るのかについての見識は違ってきます。
魚を釣る、または買う。
生きていれば締めて。
こだわる人は神経締めも行なって。
血抜きして、エラと内臓を取る。
水分を拭き取る。
そうすると、チルドなら1週間くらい全然大丈夫なんですよ。
もちろんペーパータオルでくるんでから袋に入れて空気を抜くんですけれども。
和食業界では上記のよう工程を経た魚の熟成が、普通に行われてたりします。
というか、一般家庭でも行なっているところはありますね。
ウチもそうです。
しっかり下処理して、3日とか5日とか、チルドで寝かせてます。
頭はついたままだけれど、大丈夫なんですよ。腐らない。
むしろ頭を落とすと、そこから酸化していきます。
悪くなっちゃう。
1週間保存しても、大丈夫な魚たち。
ということは、腐り始めるところって、取り除いた部分ですよね。
頭からじゃない。
腐り始めるのは内臓と血です。血が多いエラもそれに含みます。
それらのことを念頭において考察すると、
内臓もエラも取っていない魚を放置して、
一番あからさまに臭いのがわかるのは
エラなのかもしれないなあ、
という答えが見え隠れします。
それが「頭から腐る」の由来かもしれないぞ、とかね。
他国の諺が日本に合致しない、というのは往々にしてあることなんですけれども、それに加えて現実的にどうなのか、という検証は必要なんです。
そんなわけで、デザイナーには「コピーライターの言葉を鵜呑みにして仕事しちゃダメ」という意識が必要ですよというお話でもあるのでした。
カッコつけていい感じのことを言った気になってて、じつは全然ヘンなこと言ってたなんて、恥ずかしいじゃないですか。黒歴史ノミネートですよ。
知見を得るためになんでもやってみる、食ってみる、作ってみる、というのは大切なんですね。
ググった知識だけでデザインしてると、クライアントに対する説得力が低いままになっちゃうのでお気をつけください。
もしもクライアントが魚に詳しかったら?
という視点があるだけで、ずいぶん違います。
まあ魚が臭い始めたら、どこを嗅いでもクサイかもしれませんので、あくまでも慣用句のひとつでしかないことは忘れないようにしたいですね。
あと、違うの国の話を自国にあてはめたり、記事のテーマとして展開しちゃうのは、はたして適切なのか? についても常に考えておきたいものです。