試験真っ盛りの今日この頃。
あと一歩だった結果に大多数の方が向き合っている時期でもありますね。
こんなお悩みをいただきました。
いまいち合格の基準もはっきりしない試験に、貴重な時間やお金をかけて、結果が出るかもわからない試験を受け続けるのがつらいです。
くるみさんはどう思いますか?
うーんたしかに。
わかりますね、そのもやもやな感じ。
みなさんの年ごろに感じていたことを、今も変わらず実感しています。
①がんばっても結果がなかなかでない、頑張ってなくとも結果が出るという理不尽が世の中ではよく起こる。
②極悪キャラ😆でも就活やしごと、恋愛、などなどうまくいく人はたくさんいる。
という感じが、まずは社会ではデフォルトだと知っていくことは、楽にみなさんが年齢をかさねるために必要だと思う。
自分の努力がたりない、私には至らないものだらけ!と自分を責めすぎることを防ぐためです。
イエスキリストからみれば、みんな迷える子羊なわけですし。
結果や成果がなかなか出ないものに向き合うとき、
①それは無駄。プラスにならない、必要ない、きらいだから切り捨て
②その過程に意味付けをする。
のふたつがあり、①を選択することもあるでしょう。数学とか、わたしは速攻切り捨てたわー😁
ペットをかわいがる、趣味を愉しむ、夢を抱く、人を好きになる、
これらも、いずれはそれぞれ、
別れが来る、飽きる、叶わないこともある、自分も含めていやなところも見える
というかんじで、結果は出ません。
ただ②の視点で考えると
いずれもその過程はワクワク、楽しさがあって、それぞれに、
記憶の中に残り続けて、思い出し笑いができたり、成長していたり、視野が広がる。
まさに、豊かに生きることにつながるのではと思う。
空で働いているシーンにドキドキ、ワクワクしなくなったら、試験はやめ時かもしれません。
とにかく、今を、そのプロセスを楽しみたい、そんなことに時間を割きたいと私は思っています。