20121025
渋谷SONGLINESにて
TSUYOSHI MATSUMURA名義でのツヨヒロアコースティック。
my will
大きな声で
cafeteria
Everything gonna be all okay!?
Very nice day
Friends &Lovers!
とエアコードのシングルtuneを。
my will のアコースティックが好評なのは詞が入ってくるかららしい。
描きたい世界は圧倒的にバンドサウンドの方が描けているんだけども、確かに、心情は描きやすいけど、アコースティックはまだまだドラマチックさに欠けている気がする。アコースティックを否定している訳ではなく、先にも書いたが、心情は描きやすいけど、風景の中にある感情が描ききれていない。自分の描きたい世界を表現しきれていない気がしてしまっている。まあ、リスナーの満足度が優先であり、はたまた受け取りかたも自由なのも重々承知している。
手前みその観点で、バンドサウンドとアコースティックソロを二つに分けるとする。
アコースティックよりバンドサウンドが好きな人がいるのも分かるし、バンドサウンドが苦手でアコースティックが好きな人の求めているものも分かる気がする。
自分的にはバンドサウンドは映画やドラマの様にハッキリと映像を届ける事が出来る気がする。
逆にアコースティックは活字に近い。想像を駆り立てる。自分の描く世界との照らし合わせで、自分の世界に没頭する。その分、ストレートだ。
しかし、昨今はバンドサウンドでも自分の世界に没頭してしまっている人が増えて来てる気がする。
なんでだろう?
自分の世界に没頭させてくれる新しいウンドが市民権を得て来たのもあるだろう。
大きな声で叫んだり、狂ったように踊らなくても欲求は満たされているのだろうか?
少し前は、叫びたいけど叫べない。踊りたいけど踊れないんだと思っていたんだけど、それはどーやら違うんじゃないかなあと。
別に叫ばなくて良いんだ。
別に踊らなくても良いんだ。
欲求はある意味満たされている。
平穏だ。
平和だ。
とても静かだ。
気が狂いそうな位ね。
黙っていれば争いは起こらないとでも思っているのだろうか?
黙っている事が、最も大きな争いやスレ違いを産んで、不可解な事件が繰り返されているのではなかろうか?
叫ぶべき場所で叫び、躍りくるって良い場所で躍りまくる。
適材適所なんだけど、ロックの健全な姿が今消えて行こうとしている気がしてならないのだ。
そのうち、ライブハウスではロックバンドがいなくなり、毎日の様に、詩の朗読を座って聞くようなスタイルになるのかもね?
叫びたいし、踊りたい僕らは何処へ行けば良いのだろうか??
仰々しいロックサウンドで、ハチャメチャになりたいぜ。
そして、時々、ストレートに伝えたいせ。
以外とシンプルな事がシンプルじゃなくなってるんだなぁ。
豪。
