今日も激務の合間を縫ってカンフー、しかしいい加減腹が攣るようになってきたために今日はファロ宮での練習はおやすみして要塞の一角で馬と呼ばれる歩法を行いノートルダムで本を読むことにする。

 

 

 

そして帰隊後には瞑想、瞑想にして気功をして今日を終える。

 

 

 

 

瞑想の習慣は持っているんだが単なるマインドフルネス瞑想の呼吸をひたすら意識するものが10分ほどできる様になってから頃合いをみて翆虎師父から頂いた法輪気功を朝晩2回のうち一回やっている。

 

 

 

 

頂いたばかりの頃はやっぱり偏差の塊だったんだろう、全く何をしているのか分からないばかりか忍耐が無くて耐えられなかったモノだが死に掛けてからとにかくやらんと死ぬとマインドフルネスの3分から初めて10〜20分ができる落ち着きが得られた頃から少しずつ初めている。

 

 

 

 

法輪気功は中国政府の弾圧されている法輪功との関係はよく知らないがよせばいいのに誰かが共産党に説教でもしたんだろう、共産党関係者でさえ入れ込む人が多かったのも弾圧の理由だと思うんだがその辺は良くは知らない。

 

 

 

 

 

とにかくそんな事実もよく効く気功として信じるには充分だ、あの無神論者どもが必死になって潰そうとするという事はあの傲慢な高飛車調の理論ではどうにも対応できないと言う事だからだ。

 

 

 

 

実際にこの気功はとても面白い、詳しくは師父から私に個人的に頂いた大切なものだから詳述はしない。

 

 

 

 

しかし「 したから 」といってすぐにできる人もそんなにいないはずだ。

 

 

 

 

とにかくそういう時期/段階が私に来たのだと思っている

 

 

 

 

しっかりと味わい、とにかく行うのみ。

 

 

 

 

カンフーとは奥深い、

 

 

 

 

「 おまえという人間は一体何になるのだろうなあ 」

 

 

 

 

などとは晩年の最期に尋ねた病室で祖父に言われた事、あの時は気功という概念は教わらなかった詠春拳に夢中だった。

 

 

 

 

師父のブログで言われている我の強さだけで生きている中高年の人たちにはなりたく無いものだがそういう意味でもボディガードという依り代はちょうど良いかもしれない。

 

 

 

 

 

 

私はとにかく外人部隊兵のセキュリティ部門に異動を目指そう、武術のできる一人前の警護員で良いのだ。

 

 

 

 

あくまで生まれながらに授かった自分という人間の自己開発でゆこう。

 

 

 

 

さて、死ぬまで私はどこまで行けるかな。