私の様な小物がこんな事は余り言ってはいけないのは分かっている。

 

 

だがやはり人には責任の重さで立場、地位が決まる。

 

 

 

軍隊に於いて将軍や大佐が殿様の様に扱われるのは至極当たり前の現象でそこに民間人が偉そうに意見するなど私から見たら噴飯物だが、それは彼らは戦争に勝てば凱旋するが敗れればその責任の重さ故に裁かれ処刑されるからだ。

 

 

 

 

だからいくら彼らが私如きの人間のハナに吐くからといって批判などしない。

 

 

 

 

私が今日までここフランス外人部隊で暮らせているのは彼らが私を自分の兵として責任を果たしている結果なのは否定することはできないのだから。

 

 

 

 

しかし軍隊という場所には腐敗もまた付きもので上層部の裏など私如きに知りようがないが、私と同じ兵卒頭でしかない者が年功だけでテングの鼻を生やして身の丈に合わない殿様の様に振る舞っているのはやはり顔の周りを飛び回るカトンボの様にイライラと気になってしまう。

 

 

 

 

今朝方、私の友達の幼児たちの父である古手兵長の機嫌が悪くいきなり出会いざまに挨拶する私に俺の仕事を手伝えとビシャリと命令してきた。

 

 

 

おいおい、朝礼待ちのこの状況でフライングしていつも私を諌めるコイツが何でこんな事言うんだ⁉️

 

 

 

 

いつも敵に撃たれたわけでもない不摂生由来の整形外科的な障害を強調して肉体労働は全て私にやらせるだけで感謝して欲しいくらいなのに何でこんな偉そうなんだ?

 

 

 

 

先日は2人の将軍の夕食会で2時まで働いた私は朝礼で午前中の休務をいただいたんだが先日真っ先に家に帰ったコイツが同じく休務の皿洗いの兵卒のポジションに当てられたのが気に入らないらしい。

 

 

 

兵長は組長指揮官だとしても所詮は兵卒、仕事を選ぶ権利などないしそんなの日本の陸上自衛隊で17年も下士官、足掛けとはいえ初級将校を経験した私には常識といっていい、それを25年だか30年だか知らないが兵長に居座ってダラダラと今日まで来て特別扱いを当然だと誤解するこの年寄りの醜さ。

 

 

 

 

彼らの可愛い遅生まれの子供達が大好きだから目を瞑っていると言うのに、そしてそんな家族帯同で毎週の様にバーベキューやらパーティーで酔い潰れる特権に感謝ではなく「 当然だ 」と思い込みいくら雑務でも兵卒の仕事に変わりはないそれを充てられて不満を感じるのなら何故長すぎる兵長生活で下士官枠に進まないのだ。

 

 

 

 

理由は分かりきったこと、責任を取りたくないからだ。

 

 

 

 

確かにこの傾向はフランスではマジョリティの考え方でいい歳して子供の様な言い逃れがこの国では普通、だが軍人の特権、自衛隊にも米英軍には存在しない永続可能なオイシイ階級、兵長がその居場所を与えてもらえるのは過去の戦役で敵弾に斃れた将校/下士官に代わって部隊を率いた兵卒ならぬ責任感を発揮した故事から生まれた制度らしい。

 

 

 

 

基本ヒラ社員や兵卒がザコとされるのはそこに責任の義務がなく何かあれば上司上官に責任をなすりつけ逃げ仰る事が許されているからだ。だから仕事で失敗しても戦争に負けてもオフィシャルでは裁かれない事になっている。

 

 

 

そのかわり雑務雑用、犬の様に扱われること、デンジャラスな命令を即座に聞いて実行することを受け入れるのがこの立場の約束事、宿命のはず。

 

 

 

 

「 俺は〇〇年サービスだぞ‼️ 」

 

 

 

 

私は全くバカにはしないにしてもそれで自分の扱いをムダに最大化しようとする事に恥を感じてしまう。

 

 

 

 

もちろんやる義務のない事はやらないし断るが責任範囲内なら即座に実行した方が結局時間が稼げるし上官も機嫌がいい、そこでゴネる理由がない。

 

 

 

 

しばしば外人部隊兵の同僚が私を悪気なしに惨めだと憐れむ人がいて、その理由は10年越えのサービスで雑用をしているからだという。不思議だ、兵卒なら普通の事で兵卒頭とはいえ兵卒が将軍や大佐、とまで行かなくとも下士官たちと対等な待遇を要求する状況が私には気持ちが悪すぎて堪らない。

 

 

 

 

「 アレは嫌だコレは嫌だ 」

 

 

 

 

私も若い自衛官時代はそういう思いが下士官選抜試験や幹部候補生試験の準備に駆り立て突破させる原動力となっていた、兵卒の分際で多くをくれとは決して言わない以前にそんな要求をするなど犯罪だと信じていたし今日もそう思っている。

 

 

 

 

私が文民民主主義政体を時と場合によっては白い目で観る理由はここにある。

 

 

 

 

軍事政権が良いとは言わないが調子に乗りすぎた文民を諫めることも軍隊の役割だと信じている根拠はコレだ。弱いまだ自立できない幼児や稼ぐ能力が足らない未亡人に老人などを保護できない国家に存在意義/存在価値はない。

 

 

 

 

それがある国家には命懸けでそこに労働力を捧げる公務員/軍人/政治家/法曹、そして国民がいて成り立つもの。

 

 

 

 

 

そこに例外があるわけ無いだろう。

 

 

 

 

 

もう多くの戦後日本人には障害物でしか無い「 忠魂碑 」がある、もちろん各市町村にあってそれはオリジンであるフランスにもキチンとあって祝日記念日には献花され慰霊祭がフランスではキチンと開かれる。

 

 

 

 

 

「 兵卒兵卒とおまえは人をバカにしている‼️ 」

 

 

 

 

と浅はかでバカな外人部隊の先輩から言われたことがあるがやっぱりお前は浅はかでバカだとしか今でも私には他に言いようがない。

 

 

 

 

兵卒の誇りと名誉を讃える形あるものが忠魂碑だ、人間唯一の財産である最期の財産、自分を差し出した男女を讃える碑が忠魂碑、そこには

 

 

 

 

「 誰もやりたくない敵とはいえ人殺しを大切な人や街を守る為に請け負い実行した功績 」

 

 

 

「 請け負ったはいいが同じ使命を背負った敵に殺されてしまった人身御供の功績 」

 

 

 

「 なんだか知らないが普通はやりたくない掃除だったり雑用を命令通りこなして命をかけて行った功績 」

 

 

 

 

 

コレは無産階級でも分け隔てなくもらえてその想いさえ尊い本物であれば誰でも区別なく冠することのできる名誉の記念碑、ソレの根拠は他でも無い、

 

 

 

 

「 献身だ 」

 

 

 

 

その価値が分からない上に知ろうとか理解しようとかさえ思わないから身の丈に合わぬ多くをその働き無しに要求したり、

 

 

 

 

「 人をバカにしている 」

 

 

 

 

と臆面もなく吠える事ができるのだ。

 

 

 

 

当たり前の事じゃないだろうか❓

 

 

 

 

日本にもフランスにもこの当たり前を無視してシステムをぶっ壊そうとしている恥知らずが沢山いる、誰かが何かを要求してきたり怒りに任せて何かを吠えている時は決して昂ってはいけない、タオの世界観で体重計やある種の測定器になったつもりで彼/彼女を分析して観てみよう。

 

 

 

そして広大な宇宙に存在する自分という存在を観てみよう。