カンフーはもちろんなんだが多分そこに大きな価値を見出せる人、出せない人は人生の別れ道と同じなのかもしれないと思う事があった。

 

 

 

 

それは多分別に歓喜はしてもそこで悲しみ凹んだり悲しむ事ではない、縁があるのか/無いのかの違いがあるだけで、例えばカンフーが無い人生の人が全て不幸かと言ったらそんなバカな事があるはずがない、

 

 

 

 

幸福な人生に収まる核は皆違う、でも名称が違ってもそれと同じ宝で稼働するものなのかもしれない。

 

 

 

 

先日歌手の森口博子さんをWEBサイトで見かけた。芸能人の在り様も様々で年齢がそこまで関係無いのではと思わせてくれる今を輝く顕著な例の一つではある、確か55歳だったはずで同年代で同じく森高千里さんなどがいるがあの2人とまた同年代の芸能人を見る時に同じ輝きを放っている人はそこまで多く無い。

 

 

 

 

その秘密は色々言われてはいるが共通の秘訣は確かにあるだろう、彼女らは歌手だ。

 

 

 

 

単にカラオケの歌手ではない大勢の人の前で歌い振りで稼ぐプロ、歌唱力ももちろんだが動き振る舞い表情全ての人の美意識に受け入れられて今日がある。そこには必ず鍛錬ルーティンがあるはずで当然ただ単に生きているはずがない。

 

 

 

 

 

残念ながら彼女達とかつて同じ栄華に預かり、そして今日はその見る影もない人もいるわけだ。

 

 

 

言いたいことはその秘訣は、例えば「 欽ちゃん走り 」の様な、そこまでびっくりする様な奇天烈なモノではない可能性があるという事だ。

 

 

 

 

私が少年だった頃に森高千里さんが好きで息抜きに必ずテレビで見ていた時期に森口博子さんとマスコミの仕掛け以上の交流があるのかは知らないがそういう人は仲良しの場合はあるだろう、そして同じ秘訣を共有している事もあるかもしれない。

 

 

 

 

イケてる人はイケてる世界/ルーティンを含めた生活を生き、イケてない人はイケてない地獄行き世界/ルーティンを含めた生活を生きているのかもしれない。

 

 

 

 

長くなるから今日はここまでにするけれどある同僚と再び会った時の会話でそれがわかってしまった、それはよく私がたまにここで書いてしまう様なマウントで片付けられる安っぽい違いじゃない、しかしよくよくまとめて書かないとコレが伝わらないと思うからここまでにする。

 

 

 

 

情熱を感じるモノに向き合う秘訣、とでも言おうか?

 

 

 

誰もが好きなモノに向き合って結局時間や人生をすり減らすだけで終わりたくはないだろう、そして情熱ややる気が実は無いのに、そんな実は真に魅力を感じられていないモノに腐れ縁でズブズブと人生をすり減らされたくはないだろう、私も一緒。

 

 

 

この次に書いていくブログはそういうモノになる、今日はちょっとここまでだ。