よく学びはアウトプットしろという。
学びと進化には友が必要で社会のコミュニティに積極的に関わるのが良い、引きこもりっぽい瞑想さえ感覚を広げる目的で行うもので周囲へのアンテナを絶やしてはいけないとも。
そしてその根拠は人は孤立しては生きてはいけないからだともいう。
私も日本の家族を亡くしてからそういう自己印象なんだが果たしてどうなんだろうか?
人は弱く完全ではないのか、或いは全て生まれながらに揃っているのかは難しいところだ。
だが今この時点で私自身はやはりインプットもアウトプットも自分自身で他人を介在させずに行い自分自身で検証証明して行くのが人生だと思っている。
自己啓発でずいぶんと昔に苫米地英人さんが出てきた時に人生のゴールを先へ先へと設定してそのアンカーに引っ掛けたラバーバンドに自分が引っ張られる形で人生を進めていけという考え方に出会った。
今思うとこれは正しい、他の言葉を差挟む余地がないくらいに正しい。
ゴールは自分で見つけて自分で設定するもので他人に言われたモノであってはならない。
どんな人でも人生を真剣に生きていれば誰でも気がつくものだがこの苫米地さんがいう様にいわゆる、「 ぬるま湯状態 」であるカムフォートゾーンというものから自力で這い出ることは結構なエネルギーと勇気が要る。
日頃から準備をして旅立たないと失敗する可能性があり、例えば私の場合日本の家族と実家を失った時の様に、そのカムフォートゾーンがなんらかの理由で破壊されてしまった場合には精神的なショックがかなりのものになる。
引きこもり状態でそれを迎えた人などは恐らくそれで押し潰されて人生下降エレベーターに乗ってしまう人と新境地を見つけて自分で上昇して行く人と強制的に分かれるはずだ。
一応我々が住んでいる建前ではあるが民主主義社会と真の人間の自由を自分なりに真剣に考えて理解している人はここでヘコたれたりはせず、遅かれ早かれそれを見つけて設定し人生を進めて行くはずだ。
だが最低限の居場所、コンフォートゾーンは小さくても居心地の良い落ち着ける場所はどこかにないとそれに気がつく前にきっと潰れてしまうか衣食住環境の不備の補完に奔走している内に人生が不発のまま終わってしまう可能性がある。
それは単に物理的な衣食住環境の欠如から起こる深刻なケースとは別にもう一つ、精神的な居場所、精神的なコンフォートゾーンだろう。
2011年の暮れに陸上自衛隊を大した準備も無しに依願退職した時、日本は既に不景気で大地震と貧困の恐怖が蔓延していた。外人部隊に入ると観念するまでサラリーマンをしてみたがいつも怒っている人にポジティブ気取ってはいるが単に不安故に饒舌な人、色々な人と出会った。
いずれの人も上記の精神的な居場所がない人だった。
私もたまに自分の内にそれを発見する時が今でもある、自分がそうなる瞬間が今でもたまにあるからそれが分かる。
その現象が自身の内に起こる事自体は理解してコントロールの術を発見することで対処ができるが大きなダメージはそれをキチンと把握せずに、向き合うことを怠けてほぼ話して付き合っても自分にとってほぼ無意味な他人に大切なことを話して後悔したり、能力的にも出来もしないしする義務も向こうにない人に自己理解を求めてしまう現象だ。
最悪その不適切なチョイスの他人が恐ろしい自分の敵に廻りせっかく掴み掛けていた脳内作業の成果を破壊されてしまう現象、「 ドリームキラー現象 」がもたらされる。
そういう危険な行為を、多分それもこれも実家家族を失った直後から数年間、ブタ小屋と言っていいほど同僚の質が悪い司令部で病気で倒れるまで続いた気がする。
トレードはそんな入院した時に自発的に開始した、まだ元気で空挺部隊にいた時に自助努力の結果出会えたキーパーソンから頂いた本物の貴重な機会を活かした結果だ。動機は上記の内なる問題を自力で全てを解決するという決意を伴った目的だった。
そこで今も随分と色々な経験をさせてもらっている。
そしてこれらの学び経験は他人にシェアしようとしてできるモノでもないし無理矢理しようとする様なものでもない、自分自身が/それを聞かされる他人自身が腑に落ちない限り重要なそれが目前にあったとしても恐らくそれは知覚出来ない。
まだまだ私自身が当面の間やるべきことは余計な感覚を遮断して目の前の糸口を慎重に辿って行くことになりそうだ。
今これを日の出が完了した今、敢えて雨戸を閉め切った光のない状態で書いている。
日光を浴びることは大事だが起床後の潜在意識が弾き出す答えは日光を浴びると急速潜航を開始して顕在意識、記憶からあっという間に姿を消してしまうものだ。
何か見えない部分の自分の深奥が弾き出したアイディアを形として受け取りたいと思ったら最近ではジャーナリングと呼ばれるものが良いかも知れない、ここに最もきて欲しくない人種の定型句、「 科学的なエビデンス 」とか言い出すなら無視してくれ。
色々調べたがジャーナリングも事務的に体系立てたモノから感覚的でスピリチュアル的なモノまでたくさんある。
私が行うそれは、いわゆる夢日記に近いかも知れん。
どうやって書くのかって?
今読んでくれているこの記事がそれだ。
自分が分かるのが大切で自分の中のモノだからあなた自身が分かれば正しいやり方を満たしたと言っていいだろう。
起床後に微睡みの中に潜在意識に舞い戻ろうとするソレのシッポを捕まえて自分の言葉で文字化して記録してやるのだ。