お小言。一言言ってやりたいは、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

お小言。助言。指導。説教。アドバイス。指南。。


問われ請われたときにはいいけれど、


自分の正しさを誇示するような語りならいらない



何もかもを俯瞰して必要なことを短く気づかせる


そんな長老のような視点にも立てないのに


悟った人ほど多くを語らないもの



偉そうに、さもわかったように語ろうとするのは


自分の愚かさを知らない傲慢なこと


自分の思考は自分の考える基準でしか判断できない



意見する前に相手の考え方を尊重することが大事


そしてけして自分の意見を押し付けないこと



だからこそ、誰かの言動を指南することは案外


適切な表現で指南することは難しいもの



少なからず、自分都合のコントロール支配欲が


指南、指導する中で出てしまうもの、だから



未熟だろうが、至らなかろうが、それも含めて


体験していいじゃないか?


先回りして転ばないことが正解!にしようなんて


大人の傲慢だ



段取りがいいこと=正解!が不寛容さを強くする


適切な対応にこだわるから萎縮する


失礼失礼!叫ぶほうが案外突っ込み過ぎて失礼だと


気づくことはなかったりするんだ


正解主義主張が心の余裕をなくさせる



自分で気づかせるようなニュアンスで語り


直接的な指導を行わない姿勢、


その静かに気づくまでの時を待つ姿勢で見守るのは


できているようでいて、できていなかったりする



なんなら、直接ダメ出ししては自分の考えを


これが正解!と示し押し付ける思考をしがち



道の達人ほど、多くを語らず己の生きざまを


みて学べという姿勢で力による導きや


経典による教えを説かない



教えてやっている!意識に気づかないのは教える側


無理やり自分のバイブレーションに合わせろ!の


圧力からのエネルギーを受けとるのはしんどいよ



《ありがた迷惑》《おせっかい》《うざい》とか


《でしゃばり》《大きなお世話》とか


断りにくい若年齢の受けとる側が感じる前に。


請われたら少し、くらいで丁度いい



結局は自分の思考パターンにない事への不安から


自分が気になって見逃せないという思考で



黙ってみすごせない!一言言ってやりたい!


ほっとけない、口を出したい!出番作りたい!


自分からみた《間違いに思える》事を指摘して


不安だらけの自分の思考を満たす為に問題視してる


それをしたがる自分の心をまず見つめていこう



ホッとしたい!解決したい!安心したい!欲求を


満たそう、としていないか、、?を見つめて、、


誰かに言いたい=自分が言いたいこと


何の観念が反応してるのかなぁ?、と


自分流儀を知らしめたい!となってないかな?、、



そんな正しさをアピールする心を見つめるんだ


自分の意見に正解!を求めてない?とかね



あれやこれやに首を突っ込んで役立とうとして


感謝や称賛やらの見返り欲求を持ってないかな?


なぜそんなに気になるの?、、


なぜそんなに自分の意見を誇示してみたいの?、、


なぜそんなに正しさを証明したがるの?、、



すると、あとから自分の正義かざした理由が


不安だらけだったから、とわかったりする



おせっかいは、やいても美味しくならないよ


良かれと思って、は自分の都合だよ


外側のそれより、自分の意識に向かおう。。