お伺いマインドからの脱却、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

親、世間体、他人などに。自分の感じたことより先に


《こう言われたなら怖い》

《こう思われたら恥ずかしい》

《こう言い返されたらどうしよう》


と、自衛の思考で自分の意見、意思を


相手に伝える前に他人ベクトルの他人次第で思考する


心のクセ、傾向があると、



何かをやる度に、決め事が起きる度に、


《あの人は何て言うだろう?》

《あの人は反対しないだろうか?》

《あの人の意見はどれだろう?》


相手ありきの相手の意向を思慮する意識から選択し


自分がどうしたいのか?自分はどう思ってるのか?


そこを出せないまま、不完全燃焼して選ぶ



いくつかあるケーキを食べる際も、自分なりの頭で


あの人はチョコが好きだから、


この人は苺が好きだから、


ワタシはこれが余ったなら、これ《で》いい。。



《それ》を選んだことで、次はまた望まないうちに


前回これ選んだからあなたはこれが好きだよね?


という決めつけが発生するんだよ


自分も相手の嗜好を決めつけたように、ね、、



選択する目的が他人から攻撃されない為の防衛


選択する目的が好きなものをただ選んだだけ


天と地の隔たりなんだよ、目的意識が。



お伺いマインドを持つに至ったのも、過程がある


そこに至るストーリーがある、けれども


気づいているなら、やめたいならやめることを選ぶ


それを決めるだけでいい



路線をかえる勇気を持つ、それが第一歩なんだ



お伺いマインドは、自我が判断する危機回避思考


こうしないと生き残れない、と本能的に判断する


この環境下で生活する為にはこれを守らないと!



そうした自分を抑制する思考に絡まってしまい


選び取られた後の残り物に不満なのに


表面上浮かべる偽りの微笑みで事なきを得ようと


画策する意識に《思考が乗っ取られてる》



キズつくシーンはみたくない、したくない


平和がいい、といいながら自分の意見を封じて



偽りのエセ平和を自分からかって出ては内に向かい


吐き出せない欲求の不満を溜めていく、、


付き従うしかないんだ、、と諦めていく、、


根底にある《おそれ》を払拭できるまで、、



《ご乱心あそばすお殿様》が脳内に棲みついてて、


その人を上に拝して仰いで担いでいる思考クセ



《この御方を怒らせたなら生きていけない》

《この御方を怒らせないよう機嫌取らないと》



仕える立場をわきまえて怒りを抑える忠臣のように


目の前の相手に媚びへつらうことで


怒らせないよう機嫌をお伺いすることで


生きようと画策する思考からの予測判断クセ



《察しろ》《しゃしゃり出るな》《分をわきまえろ》


そうした封建的な概念にやられてるんだ



それは、これまでの幻想。刷り込まれた概念。


それは、自分の脳内に起きた思考の認知エラー


生存率をあげるための本能的忌避判断



根底にある《おそれ》が強く出ているんだ


そこを《安心》に持っていくんだ


のび太だって、いつまでもジャイアンに怯えていた


わけじゃない



おそれを強く意識する脳のクセに気づくんだ


エセ平和を自分からかって出なくていい


そんなことするから自分と仲違いして不一致になる


不一致にしてるから世界が冷たくなるんだよ



望まないのに、無理やり合わせにいかない


自分はこうする!と決めるだけ


相手にベクトル向けない



相手も相手の都合で選択する権利を持つ


そして自分もその権利を持つことを思い出す



お伺いマインドを払拭してどれいマインドから


脱却していこう



怯えなくていいんだよ


自分の心のままに生きよう