過ぎてから解ること、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

過ぎてから解ることがある


時間を置いてから見えてくる世界がある


離れてから見えてくる立場の違いからの誤解を知る



どんなにその時にわかっていれば、と思っても


その時にはその時の最善を絞り出してきたはず




むしろ、新しい視点から見えてきた、その進歩した


自分の経験則、境地になれたことを祝福すればいい



いつだって、最善の選択を可能な限り、与えて


生きてきた、ならばどこに自分を恥じる必要が


あるだろう?、、



必要以上に責めてしまってないか、、?


恥じる必要ないことを、悔やむ必要ないことを


それは既存概念にそぐえない自分を恥じたから?


不出来な人間だと思いつめてなじってないか?



どうして、どうして、、?と。。


頭でそれを考えても、自分の心は間違わない


起きたことはすべて最善。なんだよ



感じたことを封印しないでいいの


苦しく感じるのは息ができないのは、思いを閉じて


生きてるからなんだよ。。



《みんな》という単位に合わせることができないと


責めてないか?、、強迫観念持ってないか?、、


それは必要ない責めなんだ、やめていくんだよ




かつての自分では見いだせなかった視点を持てた


ここまで来なければ解らなかった気持ちがあった


それが解るくらい、その成長した自分を感じれた


それって。素晴らしいこと



あなたは、誇らしいんだ


あなたは、どんなに心が強く揺れてもそのままの


あなたの、その思いを感じて出していけばいい



過ぎてみて、終わってからの景色を


いつか、笑って懐かしむことがくるだろう


山登りの途中では、見いだせなかった景色を


《これで良かったんだね》と微笑んで、、