地雷だらけの人生やめよ、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

非難してしまう、のは


否定してしまう、のは



それだけたくさんの禁止、抑制を自分に課して


その《言い付け守る》ことを忠実に守り続けて


それなのになぜだか心が満たされず報われないから



《あれ?守ってきたけど幸せに感じないな》

《もっと違う生き方、あるけど私はムリ》

《あの人、何で勝手に平気にしてるの?》


禁止が多いほどに、足枷となり地雷もの


その地雷が疼くとき、否定したくなる


そのざわざわ感、お知らせなんだ



《自分と違う生き方してしかも楽しそう》

《楽に生きてるような人がいる、悔しい》

《私、苦労してるのに!がまんしているのに!》

《私ばっかり。》《あの人ばっかり。》《ズルい》

《ムカつく》《ルール違反!許せない!》《返せ》



ひねくれた思考が自分の中で暴れ出すんだ


それだけ、無理やり合わせてがまんしている自分に


気づくんだよ


人を羨んだりするより、自分に禁止させてるものを


緩めて生きる方に向けるんだ



目の前の人によって不快になったのは錯覚


目の前の人はきっかけ。ほんとはもともとあったの


マグマみたいなもの抱えて押し込めて生きてたの



日本では特に直接言わないでネチネチ型だから


ちゃんと言葉にしないで隠そうってしたから


いつまでも不完全燃焼のまま自分に貼りついてたの



休日の過ごし方でよくあるのは


自分ばっかりがあくせく動き、家族がのんびり


そこで苛立ちが募り、爆発!するもの



これって、自分のがまんをやめるために起こしてる


もっと楽に生きたいのに、ムリしてやってるから


自分が起こしたアクション


その苛立ち起こる状態。余白なしのとき


脳内がオーバーヒートしてる、怒りの蓋がガタガタ



相手をとがめる前に、ムリしてまでやろうとして


気持ちをおざなりにさせてないか?を観ていくんだ


清潔にしなくちゃ!強迫観念強い人ほど、


毎日の家事に余念がなくて余裕もない


当然。その他の行動にも余裕がないんだ



硬い。ギチギチ。余白なし。きっかり。


脳内に審判抱えてるような状態で生きてるよ


そして信じてきたやり方けして変えようとしないの


がんこ一徹。揺らがないから、しなやかさがない



自分がなぜそんなに非難、否定してしまうの?


それはこれまでに握ってきたその思考クセを


手放していこうよ!という気づき起こすために



自分が肯定たっぷりにできない思考クセ持ったのは


そういう環境(否定的)だった時にそれを鵜呑みに


自分の評価を下げて過小評価したままで


投げつけられた言葉を信じてきたから





肯定も否定もどちらでも受け取り方なんだ



肯定されて、素直に受け取りするとか、


肯定されても、謙遜しすぎて受け取りしないとか


否定されて、違うもん!と原動力にするか


否定されて、やっぱりか、とガッカリするか




《違うもん!私ってほんとは凄いもん!》


ほんとはそれを引き出すつもり、、が



否定されて、受け取り方を否定でとらえる人は


否定的な言葉がすでにお腹いっぱいで跳ね返せずに


《やっぱり、私って。ダメなんだ》、、


どんどん悪くとらえて落ち込んでしまい、


ひねくれた方向に更に向かっていくんだ



ほんとは褒めてほしいのに!!与えられた記憶少ない


だから素直になれない、ひねくれてしまったんだ


これ、何歳でもそうなんだよね、、



で。気づいたときから、変われる


大人になるってそういう自分の尻を自分で責任持つ


機嫌保つケアを与える覚悟なんだよね



他人からされることを望んだり


他人から言われるまで待っていたりするのは


つばくらめなんだよね



びっくりするくらい、自分でやらないまま


オムツ替えきてくれる機嫌伺いしにくる人待つ思考


他人待ちしてる思考クセに気づいたなら第一歩



赤ちゃんのままの精神で生きてると重たいよ、、



毒強めの環境体験してくると早めに大人になろうと


無理やり年齢より先に自分に言い聞かせて


親からの安息ケア足りない感じのまま


成長していくんだ



そして、大人になって親のように甘える対象に


足りないと思ってきた欲求ぶつけたくなるんだ


多くは恋人になるような人に


けれども、その相手も満たしてくれる存在じゃない



それを経て。自分自身が満たすしかないと気づく


誰か外側からもらうんじゃなく、


誰か外側に求めるんじゃなく、


自分が与えるんだ!と気づくんだ



もらいたい、その思考が悪いんじゃない


ただ、足りないよ、ほしいよ!と感じただけ


その思考をするのも過程、理由があるから


欲求がただ、あっただけ


それは悪くないでしょ



自分が自分を満たすぞ!与えるぞ!


王子探しをしてるときは王子は来ないの



そしてそう決意できるとき、否定や非難の思考が


消えてなくなっていくんだ




否定してイジイジする為に生きてるん?


違う違うよね、、


非難して貶めてしまおうとしてまで


自分の居場所に不安抱えてるんだ


でも、その方向にいくと幸せになれないよ



否定されたくなんてない、よ


で。いちばん否定しているのは、自分だったりする


なぜ?え?わざわざ否定聞きたくないよ、、?



それは《私って凄いもん!》を引き出したいから


否定から奮起して、起爆剤にして


《ほらね!私やっぱり凄いもん!》にしたいから



人って。ぬるま湯にいると、変わらない


人って。変えたくてもきっかけないと同じ場所に


いたいと思う脳の仕組みあるんだ



出来事はさ、敵視しないでみていくと


自分が目指したい方向に導くきっかけに過ぎないと


わかってくるよ



うまくいくとかいかないとかこだわることさえ


手放していくの


無心が最強なの。子どもの頃みたいな