さっき、見た記事でふと思ったこと、、
帰宅恐怖症なるネーミングがついた行動があると
いうのは、前々からわかっていたけれども
今の私がわかる範囲でいうと、
何者にもならなくていい《自分》という時間が
心に持てなくなった状態、じゃないかな?と思う
それは、役割ということへの責任感が強いタイプほど
自分への重圧がのし掛かってストレスに感じる人ほど
《逃避願望》からの一旦現実から回避したい欲求が
《ちょっとだけ寄り道》したい、ということ
人は社会性があがるほどにたくさんのペルソナが
自分の中に現れて適切な役割をまっとうしようと
生きている、人格がたくさんあるようなものだ
息子、娘、夫、妻、役職、部下、教師、生徒、、
そう、心に余裕が持てない状態では
家に帰れば、父親の顔で役割、母親の顔で役割
帰るという行為を躊躇う=充電したいけどできない
本来、家に帰ることで充電するものだけれど
家に帰ることがまた新たな役割が待っていて
そこに使うエネルギーがすでにない状態にまで
自分の状態が下がってすりきれてしまってる
それをすることを躊躇ってしまうほどに
自分がエネルギーを消耗してしまってるんだ
人間が1日に使えるエネルギーは限界があるから
それは、日中、注ぎすぎたエネルギーで残ってない
ウルトラマン危うし!という状態
すぐにでもバタンキューしたい、、
けれども。。帰ればやることがある、、(。>д<)
自分のバランスがいい時には逃避行動したいとは
ならないんだ、つまり、見失ってしまうくらい
自分の気が枯渇していることに意識しないと
《帰宅恐怖症》なのは妻がこわいからだなんて
とんでもない論に向かうと思うよ
ちょっと、ひとりの時間が必要な状態
ちょっと、バランス整える必要な状態
それは、誰にも起こり得るってこと
現実には、家に帰れば家庭の中でのやることが
待っていたりする、それは誰にもある日常
幼い子どもがいたならなおのこと
それでも。そこを我を抑えてするのが大人に必要な
学びと成長でもある、
あまりにも責任感強く持つから、逃げたくもなるんだ
別段、役割をやれ!という強制もない、けれども
彼らの頭の中には『それはダメ!いけない!』と
一喝する鬼母親が棲んでいつも叱責しまくってる
押し付けられる前に自罰的な罵詈雑言を自分で
頭のなかでリピートさせているんだ
夫が悪いんじゃない、妻が悪いんじゃない、
子どもが悪いんじゃない、、
そう、ものすごい責任感の重圧から回避したいくらい
『疲れたぁ、休みたいな、でも家に帰るとできない』
ちょっとだけ寄り道するくらい許されるよな?
いつも頑張ってる自分への御褒美だ!
そういう免罪符の言い訳を用意して
疲れたぁ、休みたい、と思う自分を責めずに
自分が再起できるエネルギー充電を外で補おうと
居酒屋に立ち寄ってはホロ酔いしたり
ちょっとだけ寄り道、息抜きする事を
許してください!と心の中ですがってる
《きっちり生きなくてはなりませんよ!》
《しっかりしなくてはいけませんよ!》
プレッシャーが強く自分が追い付かないとき
現実から逃げたくもなるんだよ
『母ちゃん!ごめん!許して!』なんだよ
『言う通りの立派な人間じゃなくてごめん!』って
(((^_^;)
『真面目に働いたからいいんだ!許される』
罪意識を薄めるように、フラフラと彷徨う時間を
取ろうとする(リフレッシュする方法にしてる)
独り身ならば、買い物、旅、アフターの使い方は
気ままに使えたし気にもしなくて良かっただろう
家に帰っても誰もいないのは寂しくても気ままに
いつまでも自由に使える自分の時間があった
それが責任感強いが為に、自分のエネルギーが
日中で空っぽになり、家に帰って家族で充電しないで
飲み屋などで充電しようとするのが帰宅恐怖症の
行動原理じゃないかな、と思うんだ
それが枯渇したエネルギーを取り戻すやり方だと
ほんのちょっとの罪悪感を抱きつつも
彼らはご褒美というていの癒しをそこに求めて
ほんのちょっと現実からトリップしたいだけ
・・ちなみに。私はそんな余裕なくいつも
まっすぐ家に帰ることを選んでいたけれども。。
《そうしなければいけない》母親のノロイが
確実にかかっていたと思うよ
『私がいなければ!』『私が作らなければ!』
そうやって追い込んで疲れていたのも確かだもん
心にはどこかに逃げたいな。って思いあったもん
『もっと自由に寄り道するくらいの私でも良かった』
子育て終えた今なら、そう思えるの、、(^-^)