過保護、過干渉。自他の境界線、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

自分という存在と、主に母親という存在の


境界線がうまく引けていないと、



何をするにしても、考える基準がすべて


他人(母親)が《どう思うか?》《反対しないか?》



すべてがまずは、母親ありきの視点から思考して


《そこからはみ出さないような範囲》で


母親基準の母親が認める理解範疇でしか生きる選択を


選ぼうとしなくなるんだ



世界=母親。特に独裁者みたいなタイプで過剰に


世話やきを過ぎたり、放置し過ぎたり、


子どもが不安になる言動して無自覚に翻弄する人間



どちらのタイプでも、見捨てられたくない子どもには


必死に気に入られるように合わせようと演じる


それが自分をおしころす始まりになっていく


親にとって《手のかからないいい子ども》




無自覚に、無意識に。幼い子どもは心理的に


《見捨てられたら生きていけない》おそれ持ってる


自分は小さくて無力で、庇護がないとムリ


そう、自分の力を過小評価したままでいるんだ



親が心配性で子どもに危ないことさせないタイプは


やりたい欲求を否定してやらせない

(欲求不満)


先に道を誘導して、つまづかないよう細心な注意払う

(転ぶ体験の少なさ、選択肢ない人生、失敗へのおそれ)



自分で自発的に選択して挑戦する許可を得られない

⇒物事に対する二の足踏み、消極的な姿勢



《こんなに気を配って育てたぞ!》と豪語しても


子どもの体験欲求を満たした視点が無ければ


単に親のエゴ満足、子どもが自信なくしていく


体験を否定され、許可されないことで不満溜める



親の価値観で体験の合否判定するから


子どもの欲求と認識のズレが起こるんだ


ここは無自覚にやってしまう部分だと思う



自分が過度に世話やきをしたがるタイプは


その自信から、一択の意見しか採用できない


独裁者みたいな言動を無自覚に断行してしまう



子どもにしたら、たまったもんじゃない


恐怖政治体制そのものに感じるからだ


残念なのは、やってる人間は善意溢れる愛だと


信じて疑わない姿勢だったりする



『あれしたいな』『ダメよ、危ないわ』

『これやりたい』『それよりこっちにしなさい』


理由がわからないまま、否定、止められ続ければ


自分が達成したい欲求も言わなくなっていく


《究極の自分を生きる事への諦め》起こすんだ



理想像の範疇でしか生きる手段がない、と落胆する


その心を親は、知らないままゴーイングマイウェイ


やがてその恨みが《毒親》と称されることになる




自我が適切なタイミングで成長阻害されることなく


スクスクと育つことができれば、



他人(母親)との自我と自分の自我の違いと存在を


認識して、それぞれを潰すのではなく、


《尊重》しつつ、自分はこうしたい!


と主張することで、境界線を形成できると思う



幼児期に体感した《自分と養育者》の関係性に


どこか引け目、罪悪感、劣等感を強く意識し


自分の欲求を発散できないまま親の求める姿を


《演じることで命繋いだ生存戦略》してしまうと


その姿がたとえ偽りの理想像だとしても


その理想像であろう!とし続けていく



偶像崇拝、芸能界のアイドルと同じだ


期待される姿を演じ続けているうちはその姿に


みなが熱狂的にその姿の偽りの自分を求める


なぜなら。それが糧を得る為の本能的な言動だから



親に都合いい、演じる子どもは糧を得る為の演技を


修得していくんだよ、愛を得たくて


その理想像演じてることが愛貰えると錯覚してるから



勘違いしたまま。やめられなくなっていくんだ


そして。本来あった自分の姿が表に出ることを嫌う


刺激与えてくる人間を避ける、嫌う



閉じ込めた本来の姿だと《自分は自信ない》


《自分は愛されないんだ!》と信じてるから、、


悲しい勘違いを握りしめたまま、演じきろうと


いい人間であろう!とし続けていくんだよ



その限界がくるまで、、


その限界って、心が激しく揺さぶられること


好きになった相手に対する自分が保ってきた姿の


偽りの仮面が剥がれていくことが耐えられない



だって。自分が愛されたのは偽りの姿なのに


本来の姿だと愛されるハズなんてないのに


相手はどんどん自分の奥深くに押し込めた姿を


剥ぎ取ろうとしてしまう、、!『こわい!』



衝動、情動で揺れない理想像演じてきた人間には


恋愛で自分の姿をさらし出すことがこわいんだ


《ほんとの自分、愛される自信ない、、》


そう思い込んでるんだ



そんな怖じけついた思いと裏腹に、相手に翻弄され


心の制御とれなくなる自分が不安になるんだよ


《仮面が剥がされてしまう!愛されなくなる》



・・・そんなおそれ、勘違いなのに、ね


《剥いでしまえよ!仮面捨てよろ!》


相手に抵抗せずにどんどん剥き出しになっていく


自分になれたなら、脱皮成功



相手との心理的な境界線も依存的にならずに


自分という個を愛することができるようになる



依存的な関係性って境界線があいまいで


心がべったりとあいまいに共有しあっているんだ


個がハッキリできないまま、、ね




『あなたはダメねぇ、まったく私がいないと、ね』


そんな無自覚に操る言動で、いつまでも自分の手元に


自由に触手伸ばして操作するエゴが潜んでいたり



『私がこんなにしてきたのに無下にして。薄情者!』


無自覚に愛と名を被った支配的操作で


自分に対する忠義を要求しようとするのは


無償の愛からなら出てこない言動



言いなりになって生きてきた人ほど、勇気いるんだ


境界線あいまいだった人ほど、辛く感じるよね


絡み付いてるんだもの、相手の血肉がさ、、



心傷んでも、キズついても、、


その理想像から降りて自分を生きる自分を称えて


その勇気を出した自分を褒めて


心理的に親の支配下に置かれた世界から脱却する


必要な境界線を形成できたってことを祝福して