がまんしいは不機嫌な世界を作る、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

『がまんすれば、きっといいことが、、』


 

そういう親からの人生格言的な


一見《ありがたいお言葉》も、足かせになって


がまんから抜け出せない一因を作っていたりする



特に。私50代、親80代の昭和世代が社会的抑圧の


みんなが辛抱して忍耐して立ち上がろうとした


戦後の復興への《感情的な抑圧》をしてきた


その潜在的な集団抑圧風潮がかなりあって、



そこから抜け出せないのは生真面目にかたくなに


清貧をよしとした武士のような矜持から


こうしなくては!と強迫観念のように時代変わっても



本来の欲求、望みを押し込んだ生き方を


自分にも、他人にも課してきたんだよね



それは、親⇒子どもへと受け継がれる場合、


反抗しない、親の言いつけを素直に吸収するタイプの


いわゆるいい子ちゃんに強く連鎖する



生きづらいって。世代間を越えた概念の押し付けが


拒絶したいのにままならない状態で続いてるんだ



強弁なたちの高圧的な親から『こうであれ!』と


生き方の指南をされたなら逆らえないままに


自分じゃない人生を送ってしまった人間も


潜在的にかなり多いんじゃないかな



影響っていうのは、何でも移りやすいけれども、


がまんって。伝播するんだよね


だから、忍耐強くおしん的な親⇒子どもにも強要


図らずとも、そういう生き方を見せているんだ


《それこそが我が生き方!》みたいに。。



それで、幸せそうならいいけど、どうなの?


・・・そこで、あ、なんか違う。間違ってたわ。


と気づいて、自分の人生を生きようと修正かけてる


それが今。なんだよね



これは、私個人じゃなくて、社会的にそんな流れに


きているんだと思うんだ


精神的抑圧からの解放、革命。みたいにね



時代はがまんでは切り開けないって概念に


変わって理解が浸透してきてるんだ



これまでは社会的な抑圧をする選択しか感じられず


そうやって生きてそれしか知らなかったんだ


戦時中の精神論のままで令和に生きてるようなもん



もう、捨てていいんだよ


いや、捨てないと辛いまんま、終わっちゃうよ


お国の精神論を握りしめてなくていいんだよ


押し付けられた人生指南いらないんだよ



自分からわいた生き方をしていいんだよ


今。精神世界の革命の時にきているんだよ



希望を先にみるスタイルの思考は


残念ながら、叶わないまま


がまんするままで終わる現実をうみ続けていく



がまんするだけでも、現実を厳しく見せるのに


更に続けてしまうことで、いつまでもいつまでも


叶わぬ想いを抱いて、という歌詞のような世界を


想像し続けてしまうんだ



私たちの子ども時代を思い出せば


一瞬一瞬がすべてだった



大人の感覚なんてわからなかったから


明日とか、その先とか、ごちゃごちゃ考えたりなくて


ただ、目の前の事に夢中だった


そしてそれこそが望み世界を叶える魔法なんだ


それを大人になると忘れてしまう



魔法使いは、アニメでたくさん観てきたけれども


自分がもともと持っていた想像力なんだ



難しいことなんて考えもしなかった


ただ、好きなようにやりたいことをしていた


そして、それで良かったんだよ



《がまんしなくちゃいけなかった時代》は過ぎた


その頃の満たされない思いがきたなら


空に還していけばいい



思考が夢を遠くする


思考はあれやこれや考えすぎる


もっと、瞬間の喜びを感じることでいい


もともと、止めてきた感覚を思い出せばいい