正義感とか忍耐強いとか、、 | けいのブログ

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リウマチを薬を使わないで治そうとしてます。気功、ヒーリングは体調改善にいい感じです。
子育て、夫婦、仲間、いろんな関係から自分の心クセに寄り添う日々。
ふと浮かんだ言葉をブログに綴ります、
よろしくお願いいたします

逃げ出すこと=卑怯


投げ出すこと=無責任


言い訳すること=未熟


自分ペース=空気読まない面倒な人


時間守らない=怠惰、迷惑、迷惑


失敗=許されない感じ


裏切り=相手が悪く卑怯


甘え、頼ることのハードルが高い




例えばこんな感じの観念で生きてきて



余力ないまま頼らずひとり抱え


過剰に消耗してしまい、責任感強いせいで


その余裕ないままに


日常生活のキャパオーバーに潰されていくと、



それはひとり頑張る世界観から


抜け出して生きることが困難、つらい世界


依存性もそう




きっちり裁く刑事、医療モノのドラマが人気なのも


時間きっかりに公共乗り物が動くのも



この国は特筆するくらい〈きっちり〉が蔓延している


もともと細かい職人気質もあるのかも



その正確さ、きっちりさがミスを裁く


許せないというスイッチを入れることもある



日常のベースにうっかり取り込まれていて


無意識に気づかないうちに



何かしらを自分がこれまでに見聞きした、


狭い了見で『脳内で裁判している』


ことって意外と多いことに


ハッとしたりする



それは、誰かの何気ない言葉からだったり、


ふと流されるニュースからだったりする



コツコツ培ってきたその脳内の正義感、信条は


自分だけルールに収めよう



目の前の人が軽々と自分が信じてきた


主に育ってきた家の、その狭っこいルールを


破ってきて、そこに怒りがわくのならば、



そして、その人が楽しく生きているならば


内実は自分がそうなることを憧れていて


同時に嫉妬していることだと思う



大抵、パートナー、子ども等の身内が


そのことを体当たりして見せてくれている



がまんすること、美徳とか


忍耐すること、偉いとか


列から外れたら、連帯責任とか、笑(((^_^;)



今まで重苦しくて、ひとりで抱えられないくらいの


目の前の事象を、助けてほしい、と望んでると


簡単に越える存在が現れて教えてくれる



頼ることに抵抗を感じる人は


迷惑をかけたくないと口にすることさえはばかる



生真面目で放り出せないタチの


適当、をうまく使えない人が


がまん沼から抜け出せなくて、もがいて溺れていく



テレビやネットが流す2分裂している論も


どちらが正しいとかで叩きあいプロレスしている


闘い好まないタチならば心疲れる日常



それさえも、ジャッジしていたりする


あれは、どうだこうだ。と、、



自分なりに意見しているつもりでも


それは、他の世界を否定するか肯定するか



フォーカスする先を自分が愉しくなることにしよう


不幸ネタを拾うくせがあるなら止めよう



見える世界をジャッジしないで


何をしても許してしまう感じって


赤ちゃんに対して持つ感覚なのかもね



誰かに何かを意見したいときこそ


指摘しているつもりでも、それはきっと


もう、重箱つつくような生き方を止めなよって



他人に言ったつもりでも、


それは同時に自分に厳しいってこと脳内が伝えてる



自分いじめにつながるのよね



自分からのメッセージなのかもね