10月5日以降のLINEでは、


10月6日
私が徐々に状態が安定して管を外していっていること。呼び掛けに対して顔を向けたり目を一瞬開けたりがあったと看護師から聞いたということなどが
が書かれていた。


10月7日の段階で 
私の意識が戻り呼吸器が外れ、
話が出来るようになったこと。
娘の意識は、まだ戻らないけど
がんばってるよっていうこと などが書かれていた


ほとんど記憶には無いが 
10月8日は夫からのLINEを読んで就寝した 


〜2022年10月9日〜 

この日の辺りから、
徐々に意識が しっかりと戻ってきた 

食事は朝・昼・晩と 運ばれてきて 
ほとんどが、おかゆのような流動食だった

味がしないし、正直地獄だった




食事よりも地獄だったのは
手術の傷跡だった

会陰の傷と、子宮摘出の傷のダブルパンチで
座ってても歩いても痛かった 

お風呂にも数日間入っておらず
体はベタベタだった


自分は、こんなところで何をしているんだろう 


夫とのLINEを読んで 
ショックも大きかったが 
何故か、早く仕事に復帰しないと。
と、この頃は思っていた。

同僚にLINEをし、
「こんなことがあったから入院してて
有給休暇代わりに申請してくれない?」

と言っていた

産休中なのに。

それくらい頭は まだ正常に働いていなかった


看護師さんが 搾乳器を持ってきて 
自分も、いつから使えるようになったのかは
記憶にないが 毎日決まった時間に搾乳した 


夫が冷凍した母乳を取りに来てくれて
そのまま娘が入院している病院まで届けてくれた


この頃、私は娘が口からミルクが飲めると思っており 夫に何度も おかしなLINEをしていた


「いまは鼻のチューブから飲んでるよ」


と言われていたのに
数時間すれば忘れていた


夫とテレビ電話もした


私の身に何があったのかも 
改めて教えてもらった



ここから下は、私の記憶にはない
夫から聞いた話と、
母へのLINEの記録を頼りに書いています。
______________



10月3日

10月5日の予定入院に向けて
病院へPCR検査をしに行った 

10月4日

朝から軽い陣痛があった
シャワーを浴びながら、痛い痛いと叫んでいた 
カレーを作り、一緒に食べた
昼頃に病院に電話するも、間隔が短くなってから来るようにと言われた 
夜の19時頃、陣痛の感覚が短くなり病院に電話
入院の準備をして来てくださいとのことで
夫が運転し、車で病院へ向かった

病院へ着くと、夫は外で待ってるよう言われた 
陣痛の間隔や子宮口の開き具合から、
入院が決まった為、夫は帰宅した

(コロナ感染防止の為、立ち会いは禁止されていた)

この頃、夜の19時頃。

全く記憶にないが母へのLINEを
頻繁にしていたので、その記録を元に書いています

5分おきに陣痛があり、
ずっと痛い痛いと言っていた 

無痛分娩の予定だったので
早く麻酔を打ってほしかったが
麻酔科の先生がオペで遅れ 
無痛分娩の注射を打ったのは夜の10時頃。

この時点で子宮口5〜6cm。

時間かかりそうだったので
夫に電話して寝ておいてもらうように。

母は、心配だったのか眠れず
ずっとLINEをしていた

10月5日

午前1時くらい 
何度か陣痛が遠のき 

このまま遠のいたら促進剤を検討するとのこと
でも赤ちゃんは元気だから今急ぐ必要はないと。


午前2時 

無痛の影響で38度の熱が出て 
赤ちゃんが産まれたら念の為GCUへ2日間いかないといけないらしい

母子同室は2日後だって

無痛分娩の注射をしたら熱が出やすいそう

この時点で子宮口7cm 

午前4時 

子宮口9cmで高位破水してそうとのこと

4時9分  震えが止まらない 

4時30分 子宮口全開

震えが止まらない
陣痛の間隔は2分半

4時55分 

分娩室移動します!!

このラインが最後だった




私はこの後 

心臓が止まった