私の生活 | ポラリスの日記

ポラリスの日記

日常の私の中の記録。双極性障害と私。

 

現在、私は無職である。

双極性障害によるメンタルクリニックへの通院と服薬、病気療養という大義名分がある。

(他にも、心臓疾患である冠攣縮性狭心症と子宮内膜症を患っている)

 

生活費に関しては、実は生活保護を受けて暮らしている。

私が住んでいるのは東京都23区内である。

昨年の11月に在職中にうつ病を再発し、同時にインフルエンザにもなり、心身ともに苦しい日々を送っていた。

インフルエンザは快方へ向かったが、うつの方の病状は一向に良くならず、会社から届いた傷病手当金を申請するための診断書を主治医に書いていただいた。

その時は「うつ病」だった。

 

家賃と三つの病院への通院と薬代、食費、水道光熱費、通信費などなど支出は多く、傷病手当金は殆ど全てが一瞬で消えていった。

一切の娯楽も外食もできず、毎日毎日お金の計算をしては余計に落ち込む日々。

病状は一向に良くならず、会社からまとめて届いた傷病手当金申請書を主治医に毎月毎月書いていただき、それを会社に郵送して毎月振り込まれた。

 

1月中旬ごろに会社から手紙が届いた。

「3月上旬までに復職届を出さなかったら、そのまま自然退職になるがOK?」という内容だった。

復職届を出せば、一週間のトレーニングの後に復職できるというものだったが、病状がどんどん悪化している私には申し訳ないが無理な話だった。

とても苦しい1月2月を過ごし、いよいよ3月。期日に復職は不可という内容の手紙を送り、会社の管理部から最終確認の連絡がきたが、3月中旬に自然退職となった。

 

お金がない。

私の場合、傷病手当金は4月で終了で継続することができなかった。

今の病状では働くことは不可能。お金がない。貯金もない。

背に腹は変えられない。

生活保護についてネットで沢山調べた。

調べていくうちに、精神障害者保健福祉手帳や自立支援医療制度(精神)というものを見つけた。

それはまた今度改めて。

 

ある程度、生活保護に関してネットで調べ、必要な書類などを集めて、いざ区役所へ。

うっかり、アポなしで行ってしまったが快く対応してくださった。

受付前のベンチで軽く状況を話して、その後個室に案内され詳細を話した。

生活保護に関する手引きの紙を受け取り、保護を受けるための説明を受け、質疑応答をし、必要な書類を渡し、預貯金が○万円以下になったら通帳を記帳してからまた来てくださいと言われて、区役所を後にした。

 

数日後、家賃や水道光熱費などの諸々の支払いを終えて残り少なくなった預貯金を記帳した通帳を持って区役所へ。

諸々の書類に記入して、担当のケースワーカーの方々と面談し、以前の会社給料を鑑みて計算された支給額が告げられ、毎月の支給日が書かれた紙を渡された。

数日後、家庭訪問があり、面談ののち、無事に生活保護の申請が受理された。

 

初回の支給に関しては手渡しとのことで、区役所に行って来た。

二回目以降は銀行に振り込まれる。

これでなんとか家賃を払って生活できる。。。

ありがたいことに、水道代、病院への通院代と薬代、都営のバスや電車賃が無料などがある。

(市区町村によって違うと思う)

本当にありがたい。

社会人になって20年弱、きちんと納税しててよかった。

 

とはいえ、必要最低限の支給額ー家賃を引かれた金額の中で生活していかないといけないので、今まで以上に生活のやりくりが大変になる。

贅沢なんて一切できない、簡単にお出かけもできないし、美術館などにも気軽にいけないわけだ。

外食も友人との外食も洋服も靴などの買い物も全て我慢し、美容院にもなかなか行く勇気が出ない。

仕方ない、仕方ない。

そんな風に暮らしていると、段々と生活水準が下がっていった。(必然と、下げざるを得ないんだけどね)

病院代と薬代がかからないのは本当にありがたい。

 

殆ど家でひとりで過ごす生活お金のない生活を昨年の11月からしている。

気軽に何もできないわけで。

金欠も相まって、うつの症状はどんどん悪化の一途を辿っていたが、通院と服薬のおかげで4月後半からどうにか危機は脱した様に感じる。

 

時が来るまで、生活保護のお世話になる予定。

それは、復職に向けて転職活動を始めたのと、引越しを予定しているからだ。