遠距離に住む親の臨終 | ☆まりもチャンネル☆

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日々オホーツク山間部、 津別町相生を拠点に動植物、
風景の写真を撮りためています☆
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オホーツク地方、春の訪れ、福寿草が開花
思わずカメラ持って外に出てパチリ☆
父はカメラが好きでした
そして父方の祖父は戦場のカメラマンでした
これって血筋かな、、、☆




















4月に入ったら再び帰阪しようとのんびり考えていた私・・・
延期になった転院が3/10に急に決まったと病院から電話が入る
なぜかリハビリ専門の病院ではなく同じ系列の病院に転院
3月に2度も帰阪するのは経済的なこともあり
その時の転院付き添いは親戚と私の母(元嫁)にお願いすることに、、、

まだこの時は父と電話やメールでやりとり出来たので
安心していた感もあります、、、

ですが転院した翌週3/14(月)に元の病院に日帰り検査
4日くらいならそのまま入院させてくれたらよかったのにと今になって思う

その日帰り検査の内容とは肺の検査だと聞いていました

そして再び3/18に検査した元の病院に再転院するとの緊急連絡
元々糖尿病を患っていたため血糖値が上あがりインシュリンを投与とのこと
翌日19日にはもっと詳しく肺の検査をするとのこと、

そんなさ中でも父から電話があった・・・
苦しそうに「早く来てくれよ~」って言っているのは理解できた
もうそのころからはメールは来なかった

私は慌てて航空チケットを手配したが3/19しか取れなかった

転院当日の3/18、母が行くと父はレントゲンを撮っていたとのこと
その結果、肺から水があふれだして手の施しようがないとの連絡が入る

ドラマのような質問を病院から電話でされる
「延命治療を希望するか?」

不思議に冷静に答えた私
「延命治療は望まない、苦痛のない処置をお願いしたい」

病院はそのまま転院しないで最後まで看取ってくれると言った

そんなやりとりの後、再び転院すると病院が言ってきた
顔色もよくなって来たし手も暖かくなったとの報告
治療で蘇生できるかも・・・っと思った私

でも転院して5時間で父は亡くなりました
あっけなすぎる・・・

亡くなってすぐに病院から出てくださいと言われ
父が加入していた互助会に連絡した私
この時点で私はまだ北海道のオホーツク山間部いた、、、

翌日、伊丹空港から西中島の大阪祭典に直行
冷たくなった父と対面、、、
その晩は父と同じ部屋で寝てお線香を焚く
翌日はお通夜、そして葬儀となる、、、

あれから2週間がたつけど今だに信じられない
父が死んだ実感がまだわかない

これからずっしりと感じていくんだろうな、、、