なかなか着地点が見つからない話ですが

 

今日は、出向の日でした。

そこには、たくさんの寝たきりの方がいます。

 

本業のほうでも、寝たきりの方はいますが

出向先のほうが、療養型の病床ということで

圧倒的に数が多いです。

 

胃に管を通して栄養を摂っている方。

点滴で栄養を入れている方。

もちろん、話すこともできない方も多く

声をかけても反応のない方もいます。

 

いわば「生きているだけ」の方。

 

若いうちは、元気なうちは

「そんなんになってまで、生きたくない。」

と言われる人は多いです。

 

でも、目の前のその方たちは、生きている。

どう思って、毎日を過ごしているのか

知るすべが、私にはないのですが。

 

点滴のチューブ、酸素のチューブ

脈拍やらを測定するモニターの電極

ベッドの周りは、いわゆる管だらけです。

 

その昔「スパゲティ」と言われた状態です。

 

自分がその状態になったら、どう思うのか。

家族がそうなったら、どうか。

 

多分、それでも

「早く片付いてほしい。」

とは、思えないはず。

 

家族であれば、どんな状態になっても

例え、1分でも1秒でも長く

生きていてほしいと思うのではないか。

 

私は去年、父を亡くしました。

母の介護のことで、最後の何年かは

父と仲良くできなくて

ほんとに優しくできなかったけど

 

最期のときを迎える覚悟はしながらも

それでも

「早く片付いてほしい。」

とは思わなかったです。

 

そのときが来たのなら仕方がない。

という気持ちでした。

 

スパゲティになってまで

生きている意味があるのか。

よく、そんなことを言われますが

生きていることそのものに

意味があるんだと思います。

 

私がくみ取れないだけで

その方にも、意思はあります。

 

生きているのがつらい

ということも、あるかもしれない。

生きていることに

意味を見出せないこともあるかもしれない。

 

それでも、

「生きているからこそ。」

なんだと思います。

 

最低限、大前提

「生きていること。」

 

それは、絶対条件なんだと思っています。

 

とにかく今日も生きていることに

全力で感謝したいです。

 

 

今日もありがとう。