日々関わらせていただいている高齢者の方で
どうしても病気でいたい人がいます。
いつも何かしら、どこそこが悪いと言い続けます。
その手口(笑)は巧妙で
本能なのか才能なのかわかりませんが
すぐにばれる仮病は使いません。
多くは、下痢、便秘の類です。
排泄動作が自立している方は
トイレに行っても流してしまうので
下痢だとか便秘だとかは
自己申告になってしまいます。
それでも、私たちも慣れたもので
本当に下痢なのか便秘なのか
わかることも多いのですが。
あと、自分の体調不良の原因を
自分なりに解釈している方も多いです。
これは、私たちも似たようなことを
よくやりがちなので、偉そうなことは言えませんが。
整形外科的な原因で起こっている痛みを
薬の副作用だと思い込んでいて
それがまた、不思議なことに
思い込んでいる以上、本当にその薬を辞めない限り
治らないのです。
私たちは、この症状を
「オリジナルエビデンス」と呼んでいます。
多分、本人は無意識なんです。
頭では、治りたいと思っている。
けれど、心の奥深くで
治りたくないと思っている。
これは、本人も気づいていない。
どこも悪くない、健康になってしまうと
たとえば、介護認定が受けられなかったり
いろいろな人にかまってもらえなくなったり
心配してもらえなかったり
もう、一生治りません。
なので、やさしくしてください。
って感じです。
こうやって、浅く切り取ってしまうと
単なる「かまってちゃん」なのですが
本人は、そんなつもりは全然ないし
本当に治りたいと思っている。頭では。
その奥深くは、もっと複雑で
自分がしっかりしていたころと
病気になってしまった自分。
病気ではないかもしれないけど
だんだん老化して、不自由になっていく身体。
そんな自分を、口では自虐的になんとでも言えますが
本当のところ、受け入れられていなくて
劣等感を持っていて
可哀想な自分を、見捨てられたら困る。
スピ的に言えば、どんな自分でも100点満点。
できなくなったことはあるけど
まだできることもある。
今日も起きられて、トイレにも行けて
ご飯も食べられて、こうやってリハビリしてくれる人がいて
たわいのない話で笑いあって。
そういうことに感謝できれば。。。。。。
なんて言うところですが
可哀想な自分を、見捨てられたら困る。
というレベルまでいってる人には
かなり、無理難題です。
とんだきれいごとです。
なので、関わる側の私としては
思う存分「よしよし」するしかないのです。
振り回されない程度に
「そうなんだ。それはつらいね。早く治るといいね。」
と、あちこちさすります。
治らなくていいんです。
実際、そのままでは治りません。
深層心理を、無理にこじ開けて
病気じゃなくても、優しくしてもらえるよ。
ってわかってもらっても、あまり意味がないようにも思います。
本人が、自ら「治る」を選ばない限り
私は、ずっと見守るだけです。
今日もありがとう。