自分は正しい。
意識では思っていなくとも
無意識のどこかではそう思おうとしている。
何かが間違っていると感じても
どこかで言い訳して
正しい立場に立とうとする。
自分は弱いから。
自分は駄目だから。
親のせい。
周りのせい。
だから仕方がないんだ。
これもある意味正当化である。
どんな悪人とされる人でも
自分を正当化しているそうだ。
やくざの親分でも
子分のためだといったり
戦争を仕掛けた独裁者でも
相手が悪いんだといったり
国益のためだといったり。
自分はひかりの奉仕をしている。
正しいことをしている。
という人がいる。
でも悪にも理屈がある。
悪には悪なりの正しさがある。
あなたが悪ではないと
どうして言い切れるだろうか?
悪の反対はなんだろう。
善だろうか?
好きの反対は
嫌いではなく
無関心である。
では悪の反対は
善悪の彼岸に立つものであろう。
人は皆、どこかで
自分を正しいと思っている。
本当の正しさはなんなのか
深く考えないままに。
深く考えるのが怖いんだ。
自分の偽善が暴かれるから。
そして本能的に知っているんだ。
本当の正しさを追い求めたとき
自分の奥にある
圧倒的な闇の存在を感じることを。
ちょっとでも気配を感じれば
すさまじい恐怖と戦慄を感じ
逃げ出したくなる衝動に駆られる。
これと対峙するならば
多くの人は精神病になるだろう。
善悪の彼岸に立とうとすれば
自分の悪はもちろん
善もそぎ落とし
圧倒的な虚無に出会うことになるだろう。
ここで明らかになるのは
善もエゴであること。
善悪の戦いとは
エゴとエゴの押し付け合いである。
生半可な善は
虚無の入り口で打ち砕かれてしまう。
より高い善もある。
圧倒的な虚無の中から
ベールを超えて真実としてこの世に持ち帰ったもの。
虚無の審査を通ったものだ。
この時虚無に意味が与えられ
形となる。
虚無の圧倒的エネルギーを
形にしたのがこの宇宙だ。
色即是空空即是色。
安定化させるために
虚無との間にベールを貼った。
ベールの中で善と悪が生まれた。
ベールの中ではそれが基準だ。
ベールの外の虚無に
本能的な怖れを感じながら
ベールの安定化装置として
善と悪が機能している。
つまりベールを超えるないで生きる術を
善悪で教えているのだ。
ベールの中だけに通じる
偽善と偽悪である。
ベールを超えるものも
少なからずいた。
多くは気がふれ
たまに虚無の力を自分で操る術を
見つけたものもいた。
キリストの起こした奇跡や
魔法や密教なんかもそうだが
叡智として生きる意味を
持ち帰るものもいた。
ベールの中は金魚鉢の中のようなもの。
時々水を換えなければいけない。
それは生きる意味や価値の交換である。
水を換える度大きな変革が起こった。
例えば人権という言葉が
世界中を変えたように。
はじめに闇があった。
虚無である。
ひかりあれといったときに
この世界が生まれた。
形が生まれたのだ。
闇は力。
ひかりは形。
闇は圧倒的な力を持っている。
ひかりはいったん闇にある
虚無の海をくぐり抜け
力を持ち帰って形にする。
自分は正しいと思っているとき
それはベールを超えて持ち帰った
真実であるだろうか?
ベールの中の正しさならば
それだけにしか過ぎない。
闇はあなたの正しさを飲み込む恐怖と感じ
いつも、目を背けなければならない存在か
憎むべき敵になってしまうだろう。
ベールを超え
闇の力を自分のコントロールにおいたとき
闇は協力者となってあなたを祝福します。
ベールの中の正しさを超越したとき
あなたは闇から苦しみを感じなくなります。
いつも負われているような感覚とも
おさらばできます。
ベールの中のあなたは
ありのままのあなたではなく
幻想のあなたです。
ベールの中の善悪を超越して
善悪の彼岸に立つとき
ありのままのあなたとは何かを
自分で意味づけることになります。
そしてはじめてあなたがあなたになったとき
本当の意味でありのままでOKになります。
自分の正しさを否定する闇の恐怖は
正しさを超越することでなくなります。
そしてありのままのあなたになったとき
闇は本来の愛そのものにかえられます。
悪の反対は
ありのままかもしれませんね。
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別に全ての人が虚無と対決しろと
いっているわけではないです。
ベールの中は幻想であり現実でもあります。
その中で学ぶことも多いでしょう。
少しずつ生きる意味を見つけていくことも
できるでしょう。
ただベールを超えたとき
あなたはあなたではなくなり
あなたは本当のあなたになります。
その時は
地球での学びも終わりかもしれませんね