「言い訳に気付き、言い訳をやめる」
「自分はこうだから」というのは過去の自分であって、今この瞬間から未来の自分、なりたい自分になれることを、私は20代前半で実感しました。
できない理由を並べたり、何かに言い訳することをやめ、まず素直にやってみること。
そして、自分が良いと感じること、ワクワクすること、魅力を感じることは積極的に取り入れて行動していく。
逆に自分に悪影響を与える人や、ネガティブに誘導されるようなこと、成長の邪魔になるものなどを自分の中やまわりから排除していきました。
同じ話を聞いていても、同じものを見ていても、その時に感動していたとしても、行動に変えない人は結局何も変わらない。自分のものになるまでやり続けない人も結局変わらない。
「努力の過程」を飛び越えて「素晴らしい結果」なんてあり得ないから、奇跡が起きるとしたらそれは自分の行動の結果。
何かに頼っているだけの人や自分から何も行動しない人に突然降ってくるものではありません。
「モノマネからはじめる」
なりたい人の思考になるために、話し方、仕草、行動、あらゆるものを真似をして、その人になりきることでわかったこと、できたことは本当に数え切れないほど沢山ありました。これは投資額0円で新たな自分を見出すことができる方法なので、誰でもすぐにでも実行できます。
「自分を洗脳する」
神に100回願うより、自分に100回言い聞かせる方が100倍効果があるといっても過言ではないと思っています。
言霊の力をお借りして声に出して言うことも大切です。
例えば「可愛くなりたい」なら「可愛くなれたら良いな」「可愛くなれますように」ではなく鏡を見ながら「今日も可愛い!」と、すでにそうなっている自分設定で言葉にします。
毎日言い続けることによって本当に可愛くなっていきます。
これはパートナーや子供にもやってあげてほしいことです。
毎日「可愛いね」と言われるだけで女性はますます美しくなりますし、子供も自分の魅力を認識して自信をもって自分の可愛さをどんどん表現するようになります。これもマイナスになるリスク0の方法なので、ぜひ今すぐにでも活用してほしいですね。
しかし、それが「可愛くなれたら良いね」と言われたらどうでしょうか?
今の自分は可愛くないのだと、否定された感じになりませんか?
自分に対しても同じです。
「なれたら良いな」の言葉の裏には「こんな自分には無理だろうけど」のように自分の可能性を心のどこかで否定してしまっているので、本気でなれる、なろうと思えていないのです。
「なれますように」なんて、初詣とかお参りする時になぜかよく使われる習慣になっていますが、もろ他力本願だと思いませんか?
普段神を信じていない人がそんな時だけお願いしたところで、神様もスルーです。
他力本願では叶うわけないのです。
私にとってこの2つの言い回しは、特に魅力を感じない時や、本気で思っていない時に使う言葉です。
「行き詰まった時に助言のようなメッセージが降りてきて解決へと導いてくれた」というような経験をされた方も沢山いるかと思います。私自身もそのような経験沢山あります。
でもそれは、神が奇跡を起こしたわけではなく、自分自身がそのことについて深く考え、悩み、行動したからこそ、引き寄せられた結果なのです。何もしていない人にはそんなことはあり得ないので、それを伝えたとしても理解できないでしょう。また、それを全て「神のお導き」かのように捉える人は、宗教などにハマりやすいでしょう。
なので私が神様にお願いするとしたら「自分は今こうゆう状況でこうなっていこうとしているから見守っていてください。困った時は力を貸してもらえたら嬉しいです。」という伝え方をしますね。
「ゲーム感覚で取り入れる」
春木開さんが、動画の中でネガティブワードを瞬時にポジティブに変えていくのがあるんですけど、私も部下たちとのミーティングやロープレの中でこうゆうゲームをよくやりました。
私は勉強もゲーム感覚でやっていくのが好きだったので、仕事の中でもよくゲームを取り入れていました。楽しいことのほうがエネルギー湧くし、すんなり自分の中に入っていくのでおすすめです。
過去にAppleの研修に行った時も、堅苦しくつまらない座学などではなく、時間があっという間に感じる楽しさがあり、身体を使ったりゲームをやりながらの研修だったので、やっぱりこの方法は有効なんだと思いました。
日本の一般的な研修とは真逆のことやってましたね。
何が正しいかなんて自分が決めれば良いと思います。私はお客さんを楽しませるために笑えるネタや一発ギャグなんかも思いついたらすぐにノートに書いてネタ帳を作ってみんなで披露しあうロープレなんかもやりました。
まわりから例え不真面目に見えたとしても、自分が大真面目だったら自信をもって良いのです。
まわりと違うことをすることで、頭おかしいと思われたり、馬鹿にしてくる人たちもいると思います。
そのような人達は平凡な発想しかないだけです。「自分はこうなるためにこれをやっている」というものがあれば、どんなことをしても間違いではないのです。
潜在能力を引き出すため、自分のまだ見ぬ才能を見出すために人と違うことをあえてやっているんだと思って、人目を気にせず行動していれば、目を輝かせるような発見や喜び、その人たちには想像できないような幸福を必ず感じることができますから。
例え失敗を繰り返したとしても、そこから多くの学びを得て活用していってください。
失敗も必要な過程です。自分の決断や行動を最後まで信じてあげてください。
「何事もまずやってみる」
私は過去自分のやってきたことに対して
「やらなければよかった」という後悔はひとつもないです。
例えば、自分の発言で人を傷つけてしまったとします。そんなつもりじゃなかったのだけど、相手が傷ついてしまったことに申し訳ないという気持ちになりますね。
しかし「言わなければよかった」と自分の行いを否定する後悔ではなく「もっと別の言い方ができたんじゃないか」と反省から改善に繋げるのです。
「こうゆう言い方だったら傷つけずに伝えられたのではないか?」というのは「その発言がなければ気付けなかった」新たな発見であり、今後に大いに活用できるものです。
言葉の受け取り方も人それぞれなので、傷つけてしまったのならまず謝って、それから自分の想いを伝えるようにしましょう。
「そんなつもりで言ったんじゃないのになんでそんな受け取り方するの!」と相手を責めるような逆ギレはしないでくださいね。
余計に心を閉ざして話す気も聞く気もなくなってしまいます。
人との関わりの中で学べることって沢山あるじゃないですか?
例え意見がぶつかりあったとしても、それによって気付けることがあったり、自分にはなかった価値観を知れたりと、良いことも沢山ありますよね。どう思われるかを恐れて意見を言えなかったり本音を隠してうわべのような関係を続けるよりも、お互いをもっとよく知るきっかけになる喧嘩の方がよっぽど価値があると私は思います。
他にも色々ありますが、続きは次回以降のブログでお話ししていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。