おはようございます。
梅雨入りしてから、4日連続の晴れ模様☀️
梅雨入り宣言早かったのかも……(笑)
さて、今朝は、
についてシェアします。
わたしたちは悩んだときに、つい
「どちらを選ぶのが正しいのだろう?」
「どうすればいいのだろう」
「どちらを選ぶ《べき》なのだろう?」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/06/ainohito-keitennaijin/f0/95/j/o1080081015456387652.jpg?caw=800)
という質問を自分に投げかけてしまいますが、実は、私たちの脳はこの質問に答えることが出来ません。
【心】は
「こっちが正解です」
とは教えてくれないのです。
だから、悩んだときに自分の
【心】に、
と【心】が教えてくれればいいのですが、そういうわけにはいきません。
自分が投げかけた質問に、出ない答えを求めて、心や脳は永遠に答えを探し続けてしまいます。
それが
という状態なんですよね。
《悩んでいる》
これまでの経験や知識を総動員して、
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/99/e0/j/o1080080915456390961.jpg?caw=800)
だから、まだその分野での経験の蓄積が足りずに、 好みがハッキリしていないからです。
それが答えの出ない根本的な原因です。
その証拠に、自分の好みがハッキリしているときは、悩んでこなかったはずです。
頭で考えて出した答えと、 【心】が進みたがっている方向が違う場合が時々あります。
「頭では分かってるんだけど、気持ちが付いてこない」
「やらなきゃいけないことは分かってるんだけど、なかなかヤル気にならない」
という場合です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/3f/1e/j/o0690085315456389587.jpg?caw=800)
これは
「頭でやろうとしていることに心がついてこない」
という状態です。
頭で出した答えが、
「こちらに進むべき」という
なのです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/a7/34/j/o0940078815456389588.jpg?caw=800)
「どちらを選んでいる自分が《自分の好み》なのだろう?」
「どう判断する自分なら、素敵だと思えるのだろう?」
「どう対応している自分のほうが幸せになれるのだろう?」
「どちらを選んだ方が楽しいのだろう?」
このように、
判断基準を変えさえすれば、
梅雨入りしてから、4日連続の晴れ模様☀️
梅雨入り宣言早かったのかも……(笑)
さて、今朝は、
【判断基準を変える】
なぜ
頭でわかっていても
行動が伴わないのか
わたしたちは悩んだときに、つい
「どちらを選ぶのが正しいのだろう?」
「どうすればいいのだろう」
「どちらを選ぶ《べき》なのだろう?」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/06/ainohito-keitennaijin/f0/95/j/o1080081015456387652.jpg?caw=800)
という質問を自分に投げかけてしまいますが、実は、私たちの脳はこの質問に答えることが出来ません。
絶対的な
【心】は
「こっちが正解です」
とは教えてくれないのです。
だから、悩んだときに自分の
【心】に、
「どうすればいいんだろう・・・」
と問いかけても答えは出ません。
と【心】が教えてくれればいいのですが、そういうわけにはいきません。
自分が投げかけた質問に、出ない答えを求めて、心や脳は永遠に答えを探し続けてしまいます。
それが
《悩んでいる》
という状態なんですよね。
《悩んでいる》
って、出ない答えを探し求めている状態。
《悩んでいる》
=
これまでの経験や知識を総動員して、
「頭で考えれば答えが出る」
と思っています。
でも、同時に、
でも、同時に、
「人生には正解なんて無い」
という事くらい分かっているはずです。
つまり【心】では、
ということが、 感覚的に分かっているはずなのに、
同時に左脳で
つまり【心】では、
「人生に正解なんてない」
同時に左脳で
「どうすればいいんだろう」
と考えてしまう。
その矛盾に気づかなければ、いつまでも《良し悪し》という出ない答えを求めて、ずっと考えてしまうことになってしまいます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/ae/41/j/o0640042715456389585.jpg?caw=800)
【心】には感情があります。
感情があるからこそ、
ではなく、
「どちらを選んでいる自分が《自分の好み》なのだろう?」
「どう判断する自分なら、素敵だと思えるのだろう?」
「どう対応している自分のほうが幸せになれるのだろう?」
「どちらを選んだ方が楽しいのだろう?」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/df/e6/j/o1080060715456390958.jpg?caw=800)
という、より快適になれる、より心が穏やかでいられる、より幸せになれる自分はどちらなのか、
という質問なら、【心】はちゃんと答えが出せるのです。
それでもなお、答えが出ないとしたら、
「自分の好みが、その分野ではまだハッキリしていない。」
「答えが出ないのは、今はまだ好みがあいまい」
だからです。
なぜなら、これまで悩んだときに、
「どちらの自分のほうが幸せになれるのか?」
「どちらを選んだ方が楽しいのだろう?」
という判断基準でなんて、考えたことが無かったから。
その矛盾に気づかなければ、いつまでも《良し悪し》という出ない答えを求めて、ずっと考えてしまうことになってしまいます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/ae/41/j/o0640042715456389585.jpg?caw=800)
【心】には感情があります。
感情があるからこそ、
「どうすればいいのだろう」
ではなく、
「どちらを選んでいる自分が《自分の好み》なのだろう?」
「どう判断する自分なら、素敵だと思えるのだろう?」
「どう対応している自分のほうが幸せになれるのだろう?」
「どちらを選んだ方が楽しいのだろう?」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/df/e6/j/o1080060715456390958.jpg?caw=800)
という、より快適になれる、より心が穏やかでいられる、より幸せになれる自分はどちらなのか、
という質問なら、【心】はちゃんと答えが出せるのです。
それでもなお、答えが出ないとしたら、
「自分の好みが、その分野ではまだハッキリしていない。」
「答えが出ないのは、今はまだ好みがあいまい」
だからです。
なぜなら、これまで悩んだときに、
「どちらの自分のほうが幸せになれるのか?」
「どちらを選んだ方が楽しいのだろう?」
という判断基準でなんて、考えたことが無かったから。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/99/e0/j/o1080080915456390961.jpg?caw=800)
だから、まだその分野での経験の蓄積が足りずに、 好みがハッキリしていないからです。
それが答えの出ない根本的な原因です。
その証拠に、自分の好みがハッキリしているときは、悩んでこなかったはずです。
頭で考えて出した答えと、 【心】が進みたがっている方向が違う場合が時々あります。
「頭では分かってるんだけど、気持ちが付いてこない」
「やらなきゃいけないことは分かってるんだけど、なかなかヤル気にならない」
という場合です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/3f/1e/j/o0690085315456389587.jpg?caw=800)
これは
「頭でやろうとしていることに心がついてこない」
という状態です。
頭で出した答えが、
「こちらに進むべき」という
《正しさ》を基準にした答えなら、自分の【心】はついてきません。
【心】がついてこなければ、自分はそちらの方向に進む気になんて、到底なれるはずもなく、そっちへ進む行動をとることが不可能になってしまいます。
自分自身が、
「より素敵な自分」
「今よりも輝いてる自分」
だと感じられる未来でなければ、到底そちらに進む気にはなれないはずです。
「やれば良い事は分かっているけど行動する気にならない」
これが、まさに私たちが善し悪しでは動けない、というなによりの証拠です。
正しいか正しくないか。
良いか悪いか。
この軸を持って考えている限り、 一生【心の方向】つまり、自分の好みと
【心】がついてこなければ、自分はそちらの方向に進む気になんて、到底なれるはずもなく、そっちへ進む行動をとることが不可能になってしまいます。
自分自身が、
「より素敵な自分」
「今よりも輝いてる自分」
だと感じられる未来でなければ、到底そちらに進む気にはなれないはずです。
「やれば良い事は分かっているけど行動する気にならない」
これが、まさに私たちが善し悪しでは動けない、というなによりの証拠です。
正しいか正しくないか。
良いか悪いか。
この軸を持って考えている限り、 一生【心の方向】つまり、自分の好みと
【頭で考えた答え】の矛盾に悩まされてしまいます。
だから、正確に表現するなら、
「頭では分かっているんだけれど、なかなか出来ない」
ではなく、
だから、正確に表現するなら、
「頭では分かっているんだけれど、なかなか出来ない」
ではなく、
頭で
『そうしなきゃ!』
と思っているだけで
心が
ついてこないから
なかなか出来ない
なのです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240627/07/ainohito-keitennaijin/a7/34/j/o0940078815456389588.jpg?caw=800)
「どちらを選んでいる自分が《自分の好み》なのだろう?」
「どう判断する自分なら、素敵だと思えるのだろう?」
「どう対応している自分のほうが幸せになれるのだろう?」
「どちらを選んだ方が楽しいのだろう?」
このように、
判断基準を変えさえすれば、
「頭では分かっていても行動が伴わない」