Kenです。

 

 年末の用事が無事に済み,新しい年になりました。

 

 fukuは「良心の危機」を読んでくれているだろうか,心変わりをしていないだろうかと心配していました。しかし,そのような心配は無用でした。毎日毎日,本と向き合っていたのです。

 

 1月3日の日記

   fukuは「良心の危機」を読んでくれている。

   「エホバを知ることができたのは,組織のおかげ」という言葉にはガックリくる。

   エホバを知るとはどういうことなのか。わたしはそんなことより○○年の時間を返してくれと言いたい。

 

 そのころ,集会で「イエス 道,真理,命」が始まったころで,その週は第2章 「イエスは生まれる前から敬意を払われる」を扱っていました。

 

  日記の続き(文章がおかしいところもありますが,そのままを掲載)

    マリアとエリサベツの下りが記されている。ルカ1章の記録は後で付け加えられたのではないだろうか。または,伝承として語り継がれ,脚色されたのではないかと思われる。特に1:46~55でマリアの言葉が載せられているが,口伝えでこれらのことが伝えらえられたとは考えられない。ルカの書が書かれたのが,西暦56~58年ごろと言われているので,この出来事は60年近く前の出来事と考えられるので,やはり脚色されたのだと思われる。

 

 ちょうどこの頃,O県への旅行を考えていました。旅行の計画を立てる時、いつも考えなければならないのは集会のことです。

 

 今はなくなっていますが,以前の集会では「〇〇兄弟姉妹は,〇月〇日,〇〇県○○会衆に交わられ,クリスチャン愛を言付かってこられました」,という発表があっていました。

 これ,嫌だったんですよね。地元の集会に来ていなかった言い訳をしているようで…。ちゃんと集会に出席していますよとみんなに言っているようで…。(ちょっとひねくれていますかね)

 また,旅行中に集会に行けないことがわかっている時は,前もってほかの会衆の集会に参加していました。(王国会館まで往復2時間かかるところもありました)わたしは,1回くらい集会に行かなくても大したことはないと思っていたのですが,fukuは違っていました。

 

 それで,O県への旅行の計画をたてる時もfukuは日程に集会を組み入れようとしていました。集会に参加すると半日以上がつぶれてしまいます。覚醒していた私は,せっかくの貴重な時間が集会で奪われるのは嫌でした。でも,fukuがそういうなら仕方がないとあきらめて,集会場所と時間を調べていました。

 

 「エホバを知ることができたのは,組織のおかげ」という言葉を聞いた時も,まだまだ時間がかかりそうだなと思いました。

 

 前後しますが,わたしは,12月31日(日)に「クリスチャンとして,他の人々のことを気遣う」という講演をしていました。講演資料は半分無視して,集会や奉仕も大切だけれどもJWではない家族が本当に困っているときはそちらを優先すべきだということを強調しました。

 

 さらに,1月13日(土) 王国宣教学校,1月14日(日) 公開講演「あなたは,エホバに仕えることに喜びを見いだせます」と立て続けに霊的な行事と割り当てが入っていました。