kenです。
2018年1月18日,木曜日の集会後,長老である二人の友人に手紙を渡すことに決めました。
集会が終わり,A兄弟とM兄弟に手紙を渡そうとしましたが,二人とも忙しそうでした。それで,手紙を鞄に入れておいたので後で読んでください,と言って帰りました。
607年に疑問を持ち,いろいろと調べ,fukuをどう説得するかを考え悩み,fukuが覚醒し,長老に手紙を渡すまで約4か月かかりました。その日の日記には「とても辛い4か月だった。これでやっと解放される。」と書いていました。
KHにはもう二度と行くことはないのです。30数年にわたり続けてきた習慣を辞めるのです。これまで当たり前のように付き合ってきた人とも会えなくなるのです。とても不思議な感じでした。でも,無意味な集会や伝道活動に参加しなくてよくなったことを考えると晴れ晴れとした気持ちになりました。しかし,このままで済まないだろうとも考えていました。
翌日,A兄弟から電話がかかってきました。とても驚いたこと,そして訪問して話をしたいと言われました。しかし,M兄弟ではなく,奉仕監督のT兄弟と一緒に来たいとのことでした。わたしは,てっきり手紙を渡したA兄弟と,M兄弟が来られると思っていましたので,一瞬ためらいましたが,承知しました。
その日の夜にお二人は来られました。そしてこの訪問は牧羊だと言われ,祈りから始まりました。
A兄弟は改めて,手紙にびっくりしたこと,そして,もう少し手紙の内容について聞きたいと言われました。
わたしは自分で作った年表を広げながら,歴史的に見て,また聖書的に見てもエルサレムの滅びが紀元前607年ではないのではないかという話をしました。お二人はこれはken兄弟が自分で作られたのですかと驚いておられました。どこかの背教者が作ったのを拝借しているのではないかと疑われたのでしょう。
それ以外に児童性的虐待のことや,信者を騙していることなどもありましたが,そのことはあえて話題に出しませんでした。それを言うと背教者扱いにされるからです。純粋に聖書を調べて,矛盾点に気が付いたという前提で話をしました。
A兄弟は,年代についてはとりあえず置いておいて,「集まりあうことを辞めたりせず。」「全地で宣べ伝える」いう命令はどう思うのか,と言われました。fukuはすでにKHでの集会中に具合が悪くなり始めていましたし,わたしも607年問題が解決するまでは休みたいと告げました。T兄弟は「わたしたちはどこにいったらいいのでしょう。」の聖句を出されました。それはこちらが聞きたいことでした。
A兄弟は次第に興奮してきて,昨夜は眠れなかったこと,30年来の友人であったことなど,昔の思い出話をされました。わたしがこんな仕打ち?をしたことに内心腹が立っていたのでしょう,目に少し涙を浮かべながらこんな手紙を書くなんてひどすぎる感を出しておられました。
しかしわたしの心はいたって冷静でした。涙を流されても感情は動きませんでした。特にブログで知った2世の兄弟姉妹が受けてきた仕打ち,忌避のこと,自殺者までだ出してしていることなどを考えると,涙なんかに負けるものかと思っていました。
お二人はわたしが示した疑問となる聖句を調べてみると言われ,帰っていかれました。