長老団への手紙②

私たちが調べた証拠について協会は,それはサタンの世の情報だから信じてはいけないと一蹴するかもしれません。

 

 では,ものみの塔2011年10月号と11月号の記事を読んでエルサレムの滅びが前607年であるという納得のいく答えが得られるでしょうか。残念ながら無理です。そこに掲載されている資料は必要な情報を載せていません。

 

 

 例えば,10月号の30ページには「ウルクの王名表」と比較して「プトレマイオスの王名表」が一致していないので,プトレマイオスは信頼できないという趣旨のことが書かれています。そして同じページの下には比較した表があり,実際の歴史はプトレマイオスの年代よりも長い年代を示すのではないかと錯覚するように書かれています。

ところがよく調べてみると,協会の説明はおかしいのです。

 下の表を見てください。ナボポラッサルがバビロンの王と宣言したのは前625年です。その時まだアッシリアは滅びていたわけではないので王が存在していました。協会はシン・シャラ・イシュクンが7年統治しているから全体の統治期間が増えるように説明していますが,それはあり得ません。

 時系列が異なるので,シン・シャラ・イシュクンの在位期間が協会が言う7年だとしてもバビロンの王の統治期間には影響がないのです。

 

 協会も認めている要となる年前539年からバビロンの王の統治年数を逆算するとナボポラッサルが王と宣言した年(前625年)になります。

 

このことから,ネブカドネザルが王になったのは前605(または604年)年であり,エルサレムの滅びが前607年とすると,その時の王はナボポラッサルなので聖書の記述と合致しません。

 

何を信じるかは個人の自由です。しかし,協会の情報だけしか調べずに,他の情報は信頼できないと言って歴史的事実から目を反らすのは,理性的と言えるでしょうか。

 

 

続く