長老団への手紙③
聖書が述べているように「すべてのことを確かめ」る必要があるのではないでしょうか。
協会も同じことを勧めています。
目ざめよ!2011年1月号 p. 28「信仰と理性は両立しませんか」
理性的な思考にしっかり基づいた信仰
聖書によれば,崇拝が「神に受け入れられる」ものとなるには,「理性による神聖な奉仕」でなければなりません。つまり,「思考力のある者にふさわしい方法で」神を崇拝しなければならないのです。(ローマ 12:1; 「エルサレム聖書」[英語])ですから,聖書が述べる信仰は,盲信と呼ばれるような,盲目的で不合理なものではありません。軽信でもありません。注意深くじっくりと考えた末に到達したもの,理性的な思考にしっかり基づいた神とみ言葉への信頼です。
もとより,理性を働かせて正しく推論するためには,正確な情報が必要です。確かな論理に基づいて設計された非常に優秀なコンピュータープログラムでも,不正確なデータを入力すると,とんちんかんな答えを出します。同様に,人の信仰の質は,その人が何を聞くか,どれほど信頼性の高い情報を自分の頭に取り入れるかに,かなりの程度かかっています。「信仰は聞く事柄から生じる」と聖書にあるとおりです。―ローマ 10:17。
信仰の基本的な必要条件の一つは「真理の正確な知識」です。(テモテ第一 2:4)「真理はあなた方を自由にする」と聖書は述べています。科学的なものであれ宗教的なものであれ,人を惑わす信条から自由にするのです。(ヨハネ 8:32)「すべての言葉」を信じてはいけない,と聖書は警告しています。(箴言 14:15)むしろ「すべてのことを確かめなさい」,つまり聞いた事柄を信じる前にまず検証しなさい,と勧めています。(テサロニケ第一 5:21)自分の信条を調べて確かめるべきなのはなぜでしょうか。偽りに基づく信仰は妄想にすぎないからです。古代都市ベレアにいた気持ちのおおらかな人たちは,正しい信仰を抱く点で良い手本です。クリスチャンの宣教者たちから教えられた事柄を信じたいという気持ちはあったものの,まず「それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べ」ました。―使徒 17:11。
「正確な情報を得る」ということは協会の出版物だけを調べることではないと思います。調べることを協会の出版物だけに限るのであれば,それこそ正確な情報を得ることはできません。
残念な例ですが,洞察Ⅱの「ペルシャ,ペルシャ人」のところで,次のような文章があります。
『クセルクセスが父親のダリウスと共同統治を行なったことを示す確実な証拠があります。ギリシャの歴史家ヘロドトス(VII,3)は,「ダリウスは[王権を求める]彼[クセルクセス]の嘆願を正しいと判断し,彼を王と宣した。しかし,私が思うに,クセルクセスはこの勧告がなかったとしても王とされたであろう」と述べています。このことは,クセルクセスがその父ダリウスの治世中に王とされたことを示唆しています。』
実際に図書館に行って原本(日本語訳)を調べてみると分かりますが,協会が引用しているヘロドトスの「歴史」の引用部分(青)部分は「巻七(ポリュムニアの巻)」にあり,その段落の前後には,こうあります。
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一 マラトンの戦いの報が・・・ダレイオス王の許に届くと・・・一層憤慨し,ギリシャ振興にいよいよ気負い立ったのである。・・・かくてアジア全土は3年にわたって激動しつづけたのである。しかるに4年目になって,・・・ここにおいてダレイオスは・・・征討せんものと,いよいよいきり立った。
二 ところがダレイオスがエジプトおよびアテナイに出征せんとするに当り,ペルシアの慣習上ダレイオスは後継ぎの王を指名した上で出征すべきであるというところから,王位継承権をめぐって彼の息子たちの間に激しい争いがおこった。・・・
・・・
「ダリウスは[王権を求める]彼[クセルクセス]の嘆願を正しいと判断し,彼を王と宣した。しかし,私が思うに,クセルクセスはこの勧告がなかったとしても王とされたであろう」それというのも全権はアトッサが握っていたからである。
四 「クセルクセスをペルシャの王に指名した後,ダレイオスは一日も早く出征せんものとはやりたった。しかし右のこととエジプトの反乱の起こった翌年になって,当のダレイオスが遠征準備の最中に世を去ってしまった。在位通計36年であった。・・・ダレイオスが死んで,王位はその子クセルクセスに移った。
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ペルシャの王は,出征の時に自分が戦いで死ぬ可能性があるので,前もって王を指名しておく習慣があったようです。
資料によると,マラトンの戦いの4年後,ダリウスが遠征準備の時に亡くなったとあります。マラトンの戦いは西暦前490年。その4年後は西暦前486年になります。このことから,クセルクセスの統治の始まりは西暦前486年になり,21年間統治した後,アルタクセルクセス王が西暦前465年に統治を始めたので,アルタクセルクセスの第20年は西暦前445年になります。(協会の説明では共同統治を10年していたと推測しアルタクセルクセス王の第20年を西暦前455年としている。)
よって,原文は「洞察」に書かれているような共同統治の確実な証拠を示しているものではありません。
私たちが,「共同統治」が行われていたか否かを問題にしているのではないことは,お分かりいただけると思います。前後の文脈を無視して,都合の良い文章だけを引用していることが問題なのです。
このように,協会の出版物だけで研究すると間違った思い込みにつながる危険があるのです。
残念ながら,このような例は1つや2つではなく,いくつも見られました。
続く