バークリー以来の友人、植田あゆみちゃんのコーチングを受けました。

 

 

今年に入ってからの仕事が予想を大幅に超えて全然うまく流れていないのは、今後に向けて意識整理をして、準備をする時間なのだと思っているのだけど、膨大に在る時間を指の数よりも出てくるアイディアのどこから注いだらいいかマジ分からん、、、てなったので、その頭整理をお手伝いしてもらおうと思って。

 

 

 

その結果、頭を整理したり、新しいアイディアを出す為の面白い方法を教えてもらいつつ、結局いつものように人と話しながら出てくる自分のアイディアの壮大さに自爆する事態になったのだけれど。笑

 

 

 

 

 

 

自分のやりたいこと、アイディアを細かく詰めていくこと。

 

 

壮大な突拍子もない夢を描いてみること。

 

 

100万円で自分が提供できるサービスを考えてみたり。

 

 

今まで経験してこれは嫌だと自分の中でハッキリしていることをリストにしたり。

 

 

 

 

 

 

既存のやり方ではない方法で自分の音楽を広げていきたいと思っている自分のその感覚を信じていいんだと、背中を押してもらっただけでもとてもありがたい時間になりました。

 

 

 

 

 

あたしが自分のプロジェクトを始めたのは、他人の音楽を表現したり、人のディレクションについて演奏することばかり上手になった自分の中から出てくる純粋なものは何なんだろうというのが知りたくて、自分も創造できることを思い出したくて、ただ自分のために音楽を作ろうと思いついたからなのだけれど。

 

 

ただ作品ができたらいいやと思っていたのに、いざ仕上がってみると出来上がったものが大好きで、自分がとても幸せなものだから、他の人にも聴いてもらいたくて、沢山の人に関わってもらったから彼らの注いでくれた想いを沢山の人にシェアしたくなりました。

 

じゃあどうやって???となった時、周りから言われるのはレーベルを探すなど、既存のミュージックビジネスの路線にあるものが多くて、でも自分が今までミュージシャンとして活動してきて、アーティストとその音楽を本当に大事にして仕事をしている感じが伝わる状況ってなかなか少なかったので、あまりそこに働きかける意味やモチベーションを感じられていませんでした。そういう人もいるんでしょうけれど。稀にそういうツアーもあったけどね。

 

だから、手当たり次第に自分の好きなアーティストがいるというだけでレーベルにコンタクトをするというのがしっくり来なくて二の足を踏んでいたんだけれど、自分が本当に大事にしているものを大事にしたいんだなと思えて、時間がかかっても本当に一緒に仕事をしたいと思えた人だけにコンタクトを取るのでいいじゃないかと思えたことですごくスッキリしました。

 

 

 

 

 

それってきっと、自分の中の違和感を大事にしていいよ、っていうメッセージで。

 

 

 

 

 

それを話しながら、彼女とその少し前に話していた「音楽で心の解放を」とか「ヒーリング音楽」と言われるものへ持つ自分の抵抗の意味が理解できました。

 

 

 

 

 

 

音楽を演奏する時、誰かの癒しになりますように、なんて考えたこともない。

 

 

 

そもそも自分の演奏する音楽はいわゆる"癒し"とは程遠いところにあるし。

だけどあたしが目指しているのは、自分が本当に音楽と繋がり、その時の自分と繋がってその時にしか出せないその時に必要な音を出すことで、その結果、どんな音楽であろうと癒しだって起こるんだと思っている。

 

 

だけど、「癒しの為の音楽」とか「これは喜び・怒りを表現するための音楽」とか言われることって音楽の可能性を限定するもったいないことじゃないかなと思うのだ。

 

 

あたしがメチャクチャにグルーブする音を聴いている時に感じるのは生きてて良かった!って思うくらいの感謝と喜びと解放だけれど、それを聴いて「ふーん」て反応の人もいると思う。あたしがヘヴィメタルとかを聴いて滅多なことでない限り「うーん」てなるのと同じことだ。でもそれで「自分のこの鬱屈した気持ちを晴らしてくれてありがとう!!!」て感じる人もいる。

 

 

きっとあたしは、「癒しのために」と限定された音楽よりも、何かしらの音楽を聴いて、更に言えば音楽なんてなくても、自分の中に感じる癒しとか、感情とか、違和感とか、もしかすると他の人とは共有できない感覚も全部自分の中に起こったこととして認めること、そのものを大事にしたいと思っているのかもしれない。

 

 

 

自分が、ずっとそこに自信を持てなかったから。

 

 

 

 

 

一般的な生き方もしていない。

 

 

特殊な人に囲まれていて。

 

 

世界中から集まる人の中で仕事をして。

 

 

 

 

 

「これがいいよね!」がコミュニティによって違うのなんて当たり前。

 

 

 

 

 

そしてどうやら人と少し違う感覚を持っているらしい自分が感じる違和感は、他の人には理解してもらえないことも多かったり。

 

 

自分が魅力を感じるものが世間の常識からすると大分外れたところにあったり。

 

 

 

 

 

でもその感覚を否定することはないんだと、あたしの感覚は間違っているわけではないんだと自分自身に伝えたかったのかもしれないな。感じたことをそのまま認めてあげていいじゃないか。

 

 

 

 

 

 

ヒーリングのために作られた音楽だけで癒しが起こるわけではない。

 

どんな音楽でも、どんな時でも、その人がそれを受け入れたら、もしくは受け入れなくても、その人の必要に応じて癒しは起こるし、だからこそみんなライブに出かけるんだと思う。

 

そしてそんな大それたことじゃなくても、ただ楽しい空間を楽しいと純粋にシェアする時間でもいいじゃないかと。

 

 

 

 

 

そしてみんなが癒しだと思うものに全くそれを感じられない自分や、良いとされるものに全く価値を見いだせない自分を否定することもないと。

"今の"自分には理解できない、でもいいし。

"今の"自分は全く好きではない、でもいい。

 

もしかしたら明日の自分はそれを格好良く思っても、その変化を否定することもないし。

 

未来永劫誰にとっても格好いいものがあるとも思わない。

 

 

 

不完全で常に変わり続ける人間である自分自身の感覚を、肯定してあげていいじゃないかと、きっとあたしは自分のプロジェクトを通して自分自身に向けて伝えているんだろうなと思った。