念願の、1週間のバケーションに行きました。

 

 

 

 

この夏、しんどいことが沢山あった自分を癒す為に、本当に何もしない1週間。

 

 

 

 

ホストをしてくれた友達と喋り倒し、彼女の娘と一日中遊んで、週末はみんなでお出かけをして。

 

 

 

 

人に甘えまくりの時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

とは言え、久し振りに会う友達、そして子供が出来てからは初めて遊びに行くので、どう振る舞えばいいのか、測りかねる部分もありつつ。

 

 

 

 

 

最近、色んな家族のあり様を見ていて、本当に人それぞれだなーと思うのだけれど。

 

 

 

 

 

この友達は、結構ガッツリ叱るタイプなので、子供が出来る前の彼女しか知らないあたしは、初めて見る彼女の一面に「おお!そういう感じか!」と、ちょっとした居心地の悪さとか、自分の中での感情の反応を観察していました。

 

 

 

 

 

泣いたカラスがもう笑うと言うように、子供の感情がコロコロ移っていくのは知っているし、すごいなーと思って子供の様子を見ていたけれど。大人だってそうあって良い、というよりその方が健康的だと分かっていたつもりで、どういうことか理解していなかったな。

 

 

子供を叱っていた彼女が、何もなかったようにあたしとの話を再開したり、次の瞬間には子供と一緒に笑っていたりするのを見て、どっちが本物の彼女なの?取り繕ってるの?という風に考えたり、ちょっとついていけない、、、みたいに思う自分がいた。

 

 

 

 

 

違うんだよね。

 

 

 

 

「子供が怒ったり泣いたりしてもすぐに機嫌を直してしまうのに、自分がそこで叱った気持ちを引きずっていたら、やってられない。だから忘れるようにしてる。」

 

 

 

彼女はそう言った。

 

 

 

 

母親が忘れっぽくなるっていうのは、そうやって物事を受け流せるように、過去のことを引きずらないようにしている必要な働きなんだろうなと思った。だって目の前に起きていることに集中していないと。人の命を預かっているんだもの。

 

 

それをちゃんと意識して出来てる彼女もすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

感情は本来、長続きしないもの。

 

何秒とか何分とかで処理してしまえるもの。

 

 

 

 

それなのにずっとその感情を感じているのは、その感情を持っていたいと「自分で意図的に選択している」から。

 

 

 

 

 

 

悲しんでいる方が優しくしてもらえるから、とか、怒っていたら人のせいに出来るから、とか。結局、自分で人生を作っていくことを放棄する為の言い訳でしかない。

 

 

 

 

誰かが不機嫌になっているという状況がものすごく苦手な自分は、まだまだ自分の不満を人に伝えたりするのが苦手で、小さな我慢を溜めてしまいがちなんだけど。

 

 

彼女がアッサリと怒りを表現しているのを見ながら、それってアリなんだ。。。と気が付く。そして、それを出来る彼女を羨ましくも思う。






何かが欲しい、でもお金が、、、。とか。

 

 

何かをやりたい、でもどうしたら良いか分からない。とか。

 

 

恥ずかしい、とか。

 

 

自分には似合わない。

 

 

まだ早い。

 

 

そんな可愛くないから。

 

 

そこまで上手じゃないから。

 

 

 

 

 

そういう理由で、「やりたい」という気持ちすら無視して来なかったか。

 

 

 

 

 

 

何か不満がある。

 

 

でも、大したことじゃないから。

 

 

自分がやればすぐ済むから。

 

 

すごく腹が立つ。けどここで怒ったら場の雰囲気が悪くなるから、とか。

 

 

 

 

 

 

そうやって自分が嫌だったことすら飲み込んで来なかったか。

 

 

 

 

 

 

 

 

せめて自分がそう感じたことだけは認めよう。

 

 

 

怒鳴ったりしなくて良いけど、自分が嫌なことは伝えよう。

 

 

 

嬉しい気持ちも大好きな気持ちも、素直にもっと表現しよう。

 

 

 

言われて嫌な気持ちになる人はきっといないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

一周回ってまたコツコツとそんなところから始めようと思います。