先日から、facebook上で、さかんにシェアされている投稿、
駅構内で母親が子どもを怒鳴りつけ、仕舞いには蹴りを入れるという動画だそうですが(・・・と解説されていましたが私は閲覧していないのでどの程度のレベルかは分かりません)、
どうにも閲覧する気になれず。
こういう現実があることを知って、
みんなで子どもを守ろう!なのか、
みんなで犯人を特定して通報しよう!なのか、
みんなでこの現実を知ろう!なのか、はよく分からないのですが、
いずれにしても動画を配信することの意義って何だろうな・・・と考えてしまいました。
私たち産後のサポートのお仕事をしていて、まず最初に心に刻まないといけないことは、
一部を切り取って全部を判断するな
という点です。
つまり、サポートに入った家庭でお母さんが不機嫌だったからといって、その人は年中不機嫌な人とは限りませんし、
お子さんがずっと泣いていたからといって、年中泣いている子とは限りません。
長い時間サポートでかかわらせていただいて、ようやく笑顔を見せてくれることだってあります。
それはきっと、自分を取り巻くあらゆる世界に共通していて、通りすがりの不機嫌な人が年中不機嫌かどうかなんて分かりっこないわけです。
冒頭の動画に関して、お母さんがわが子を蹴ったのだとすれば、それは絶対にいけないことだというのは誰だって分かっていると思います。
でも、ダメだと知っていても、子どもを育てるという中で、手を挙げたり足を出してしまうことってあると思うんです。
悪いと知っていることと、悪いことはやらない、というのは別だと思います。
その人の行いを動画に撮影して、一般にさらすことって、私はそれも一種の暴力に思えるわけです。
私は、息子に対して手を挙げたことがあります。
もしそれが何者かによって撮影されて、こうして大衆にさらされたとしたら、私のこの仕事は完全に偽善によって成り立っているものだということになりますよね。
でも、現実にはそうなっていないとしたら、それは、皆さんが、
渡辺だったらキレて子どもに手を挙げても、ちゃんとフォローしてるんだろうから問題ない
――と判断してくれているからですよね。
また、私の知人でも、子どもに手を挙げてしまったという人はいくらでもいますけど、だからといって、その人を公衆で名指しで批判することなんてないわけです。
それは、その人となりを知っていて、しつけとして叩いたりというレベルでとどまっているだろうと推測できるからです。
そして、今回の動画の件はどうなんでしょうか。
そのお母さんに、動画の中で弁解の余地は与えられているのでしょうか。
もし、お子さんを守るためや、通報が目的での撮影だとしたら、動画を直接交番なりに持っていくことができるんじゃないかなと。
このお母さん、もし近所や保育園(?)のママ友にこの動画を見られたり、職場の人に見られたら、どうなんでしょうか。
夫や家族・親戚が見る可能性だってありますよね。
そうしたら、「虐待母」としてママ友から避けられるようになり、夫は間違いなく妻を責めますよね。
お前、人前でこんなことしやがって何考えてんだ!
ってなりますよね。
これは、世の中にこの現実を知らしめるだけのものであって、この動画がきっかけになって母親が改心する、ということはまずないと思うわけです。
そりゃそうですよね、こんな動画を配信されちゃって、大量のコメントで非難されて、これは私はいけないことをしてしまった、今日から気持ちを入れ替えて子どもに優しくしよう!っていう人がいると思えないわけです。
私がこの母親だとして、その動画がばらまかれたら、世の中すべてを敵に回すと思います。
もう何物も信用しない。
そして、子どもを恨む。
お前が言うことを聞かないから、私はこんな目に遭ったんだ。
外にも出られなくなった。
どうしてくれるんだ。
これって、過去に何度も繰り返されてきた、
ベビーシッター事件のときは、そんなシッターに気軽に預けて母親は何考えてんだ、
厚木事件のときは、子どもをほったらかして恋人と会ってたとか父親は何考えてんだ、
そういう奴は子どもを生み育てる資格なんてないんだ、厳罰だ。
っていう話と同じような気がしてならないんです。
自分の子どもが可愛くないなんて、おかしい。
――って、誰から見ておかしいのかな。
可愛くないと思う瞬間、または可愛いと思えずに悩むことなんて、子どもを育ててればよくあること。
母親なら当然、24時間子どもを愛していないといけない
――って、誰が決めたんだろう。
蹴ったらダメなのは、そりゃ大前提として分かってます。
ってゆうか、先にも書きましたけど、そんなの小学生でも知ってます。
お腹を痛めて子どもを生んだことある母親が、それを知らないわけないんですよ。
問題は、蹴ってしまったときに、どうやってリカバリーするかじゃないですか。
少なくとも、その一部始終(?)をみんなで閲覧して、あーでもないこーでもない通報すべきだ最低だ人でなしだ母親失格だと書きこむことは、この母親を抹殺することはできても、母親を救うことにはならないと思います。
子どもを救うことは、そりゃ最優先でしょうけど、
子どもを救うために母親を犠牲にするのなら、それは子どものためにやっているとは思えないのです。
かくいう私だって、その場に居合わせたら何ができるか。
きっと何もできずに傍観してしまうんだろうと思うし、
母親に声をかけたところで、激高して子どもに更なる危害が加えられる可能性もありますし、
皆さんこうしましょうという提案もできないわけですが、
ただ、少なくとも、お母さんだけが悪いわけじゃなく、かといって誰が悪いとかでもなく、とにかく、お母さんの味方になってくれる人が極端に少ないと思われる方法での情報拡散は、このお母さんにとって何の価値もないと思うわけです。
子どもを蹴って後悔しない母親は絶対にいないと思います。
その後悔は無駄にしてはいけないと思います。
子どもを守る必要があるのと同じように、お母さんも守る必要があります。
ある方がおっしゃっていたことで心からうなずけたのが、
必要なのは「見張り」ではなく「見守り」だという言葉です。
育児に疲れてしまったお母さんにとって、この動画は「見張り」に等しい行為なんだと思います。
繰り返しますが、暴力は絶対にいけないこと。
この母親が子どもを蹴ったのだとしたら、その行為自体は許されないと思います。
でも、そのお母さんを守ることができないのなら、その情報が出回ることには価値がないと思います。
これに類する動画が、今後続出しないことを願います。