先日のセミナーでも

親の介護中の方がいてその話がでました

 

「最後の親孝行」の時間

朝から母のところへ行きますとき

最後の親孝行の時間だな

と思いながら行きます

 

若旦那(兄のこと)は、

言わないと行かないので

外に出た娘が本家のご奉公へ向かうの図式ね(笑

 

母は足の骨折のときから

あまり動かないようにしたので

体もだいぶ硬くなってきまして

今はもうベッドの上だけの生活になっています

 

特にこの2・3か月かなぁ

あまりしゃべらなくもなり、

顔を見てニコッとする程度

 

ですから以前のように

一緒にお茶を飲みながら話をする

というのもなくなりました

 

行くとまず、

温かいタオルで顔を緩めて(笑)

化粧水・クリームつけて

顔のマッサージをしてあげる

 

気持ちよさそうにしています

そして手足の爪を切ったり

上階にいる母の友人も来て話をしながら

体をさすったり足をマッサージしてあげる

 

少しすると、昼食が運ばれてきて

介食してくださるのを見て

飲み込み具合を確認し「よし!」と。

 

帰るときは、彼女がウトウトしたら

空を仰ぎ「あとは頼んだよ」

と、何かに頼みながらそっと部屋を出て

スタッフの皆さんに挨拶して

急いで帰って仕事に戻ります

 

ここのとこ広島へも

 

こちらは本当の本家ご奉公ね(笑)

義父は入院中ですが

場合によっては

このあと家に戻らずに

施設というのも想定しながら

あちこち相談して動いているところです

義父はずっと英語教師だったので

イギリスが大好きでした

 

イギリスのレースなども

展示会をやったりなどプロ級でしたので

それらの材料その他がたくさんあります

どうしたらいいのか・・・

処分でいいと言われても迷う

 

 

家の中に置いてあるものに

義父の世界観がとても感じられます

統一性があるので

こだわりが明確なのでしょう


モノが多かろうが

そこに統一されたセンスがあると

どれも無駄なものには見えず

たとえ止まった時計でさえ

歴史すら感じられて

義父と一緒に生きてきたのだな

お疲れ様でしたね

と、言いそうになります

 

今年、義父93歳・母97歳、どちらも、

いつどうなっても

おかしくもない状況ですし

年齢でもあります

 

最後の親孝行のとき(時間)

天空の皆さんと一緒に、

彼らの最終章をまとめていく気持ちです

 

次はどう動くか、何をすればいいか

と、それだけ考えて(=問いかけて)

この3次元の人間は、

指示の(=閃く)ままに動くのみです

 

誰もが通る道ですが

このようなことにしても

ものごとに大小はなく

自分の中から現実は創り上げていける

これはすべてに共通していると思います

 

 

義父の病院には看護士以外に

介護担当するひとたちがいて

なんとこれがインドネシア人6名だったのです

面会に行ったときに、運よく義父の病室階で

何度か会ったのがはじまりです

 

「どこから来たの?」「インドネシアです」

「やっぱりそうか、そんな感じがしたもの」

「お姉さん、なんで言葉わかるの?」

 

この部屋私の父だから頼むわね」と念を押し

連絡先交換し東京戻ってもやりとりしてて

義父の様子報告もらうことに動く(!)

神さまどうもありがとう

 

いつもうまくできている

前回の危機とで

義父は2個目のひょうたん↑↑

 

母はもう6度危機を乗り越えたの意(笑)