この本日の過去記事は

自分も肝に銘じますため

加筆して改めてアップします

 

 

人生は一度きりか 

 

 

昔読んだ本に、

人生一度きり

と、思っている意識レベルは低いので

今世でもまだまだ修業することになるでしょう

 

というようなことが書いてありました。

これはずっと頭に残りました。

人生一度きりなんだから、

やりたいことをドンドンやるに限る!

そういうひともいるでしょう

 

しかし、

人生とはこの一度きりではない

ということをわかっている意識は

そうは考えないものです

 

意識には連続性があり、

全体の中の一部でありすべてである。

そんな世界の理解があります

 

 

  神とのやりとりをするひとたち

 

 

母のいる施設で

クリスチャンのスタッフの方たちの

朝唱える言葉を聞いたことがあります。

すこし略しますが、

 

神さま、今日
病んでいる人々を助けるために  
私のこの手をお使い下さい
 
友を求める小さな人々を
訪れるために
私のこの足をお使い下さい
 
優しい言葉に飢えている人々と
語り合うために
私のこの声をお使い下さい
 
愛するために
私の心をお望みでしたら今日 
私のこの心をお使い下さい アーメン

 

またこんな話もあります

 

ある宣教師の方が神父さんに、

自分の教会を手伝って欲しいと言いましたら、

給料はいくら?

と聞かれたその返事に

パンと仕事と 天国

と答えた。

 

神父さんは

海外にいるその彼の元に行きました

そして献身的に働くことになります

 

師はいつも、

働いて疲れている神父仲間たちの

ロッカーなどにメモをはさんでいたそうです

 

「天国で休もう」

(休むのは天国でな、の意)

 

脱帽です そこまでいける意識が

 

 

  自分の夢は小さすぎる

 

こういった話を見聞きしていますとね

人生一度きり!

自分のやりたいことやろうッ!

 

というのが少しだけ、

それでいいのか?

少し浅くないか?

そんな気にもなります

 

自分の夢を実現する、

それを達成する喜びよりも、

もっと大きな幸せを感じる次元、

そんなところへ

踏み込んでみたいと、

そんな気持ちになります。

 

野心努力のベクトルではなく、

意識の進化を進めていきたい、

と思った新緑の五月

 

自分のやりたいことやる

というのが エゴと

どれだけ小さすぎる夢か

そこにも気づけていけたらと思う

 

 

  朝の祈り

 

 

最後にクリスチャンの朝の祈りを書いておきます。

毎朝読む文です

 

「朝の祈り」

新しい朝を迎えさせてくださった神よ、
きょう一日わたしを照らし、

導いてください。
いつもほがらかに、

すこやかに 過ごせますように。


物事がうまくいかないときでも 

ほほえみを忘れず、
いつも物事の明るい面を見、

最悪のときにも、
感謝すべきものがあることを、

悟らせてください。


自分のしたいことばかりではなく、
あなたの望まれることを行い、
まわりの人たちのことを

考えて生きる喜びを
見いださせてください

アーメン