⚫︎ わたしのストーリー【2】8歳 母の死
今回は、「わたしのストーリー」第2弾!!
8歳 母の死
についてお伝えします!
私が小学2年生、8歳の冬です。
以前より、病気がちで、
入退院を繰り返していた母
なぜ入院しているのか、病気のことは
小学1〜2年生の私には何もわからず、
「お母さんは体が弱くて、だから
病院で病気を治さなくちゃいけないんだな」
くらいの認識で
母といない日々は、
祖母が母代わりになり
子育てを助けてくれました。
弟といたし、祖父母は優しいし
寂しくはなかったな😌
8歳の冬、早朝6時頃
昭和の匂いがする黒電話がうるさく鳴って
電話に出たおばあちゃん。
怒っているような、泣き出してるような
声が聞こえて、まだ眠くて、寝ていたかった私。
「あいみ!起きなさい!」
「お母さん、もう帰ってこれなくなっちゃったよ...」
と、泣いていました。
このシーンは今だに鮮明に覚えているから
すごくわたしにとって、衝撃だったんでしょうね。
母はその日亡くなり
電話でうちに知らせがあったんですね。
それから、バタバタと
お通夜、お葬式とせわしなく過ぎました。
お母さんが死んでしまった、
という事は言葉ではわかりますが
感情が、出てこない。
普通、大好きな母が亡くなったら
号泣したっておかしくないのに、
なんと言うか、涙が出ない。。
感情を麻痺させて、学校では笑ってました。
それも、覚えてるなぁ。
学校へ行くと、担任の先生が
朝、教室について、真っ先に私を廊下に連れて
無言でギュって抱きしめて、泣いてくれた。
わたしは、笑ってたのです😭
えへへって。せんせいどうしたのーーって
温かい担任の先生ですごく恵まれてたね😭
先生泣きながら
「悲しいね、泣いていいんだよ」
って、たくさん声をかけて抱きしめてくれた。
小学2年生最後のイベントで発表会があり
そのイベントには、父が、母の写真を持って
見に来てくれた。
私は先生に「人生で1番楽しかった!」
と言った (それも覚えている)
人前で気丈に振る舞い、心配をかけさせない。
感情のままに泣いたりすることが
恥ずかしい、
わたしの気持ちを伝えることが
恥ずかしい、
そんな性格は、この事(母の死)がきっかけで
強くなっていった気がします。
弱音を吐く事ができなくなっていったなぁ。。
あとあと、祖母に聞いた話
わたしは、母が亡くなったあと
ひどく落ち込んで
部屋の角のほうを向いて、体操座りを
ずっとしていたらしい。
そんなの、まったく記憶にないんだよね。
自分を守るために、悲しすぎる記憶は
消してたんだね。
もし....
8歳のわたしが目の前にいたら
とにかく
ぎゅって抱きしめてあげたいし
一緒に泣いてあげたい。
ただ、寄り添うことだけをしてあげる。
とんでもないものを
背負って生きることになりました。
脱ステロイド完了まで一直線!
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