ハウスか、ジャングルか
究極のインドアかアウトドアか?
というわけではなく。1990年頃ユーロビートの影響でハウスが流行った頃、自分が聴いたのはアシッドハウスで、へえそんなものがあるんだという程度だったが、そのあとすぐにジャングルってのがあるんだぜと紹介されたのが、当時ロンドンに住んでいた妹経由だったかもしれない。妹のルームメイトがロンドンのクラブハウスでバイトをしていたとかで、そこで流行ってたのを又聞きのさらに又聞きという感じだったのだが、その頃からリズムに対する萌芽があったのか、ジャングルのCDはなぜか触発されて2枚も買っている。そのバイトをしているコの部屋で妹が気に入ったCDの写真を送ってきて、これを買ってみなと勧めてきたうちの一つがL.T.G BukemのLOGICAL PROGRESSIONでその中のwesternが特に妹のお気に入りだったらしい。朝起きるときに聴くのがミソで、途中でテンポアップしたときに、がっつり起きれるからというのがその理由だった。
なんとなく、よくわかる。
同様に、ブリストルサウンドも流行っていて、massive attackも買わされた。
こっちはそのあとmezzanineまで追いかけたが、アメリカで音楽は死んでしまうとはよく言われることで、やはり、イギリスで流行ってた頃のほうが好きだ。とはいえ、今聴くとどっちもそれなりによかったりする。
なんていう、個人的な音楽よもやま話。
君の名は
ラジオから、聴いたことのある歌声。
でも、だいぶ違うな。上白石萌音というコらしい。19才。
藤原さくらを思い出した。
声質というのは人によってとらえるのもまちまちなのかもしれないが、
歌い方にフックとか、パンチを求めてしまう自分的にはやはりおとなしすぎるかな。
ロックンロールにLAZYgunsBRISKYを見に行ったときに、主催のタツくん(MOJ)が引っ張ってきて偶然みれたのが藤原さくらちゃんでそのときはまだ月9に出るなんて知らなかった。メジャデビューしてはいたのだと思う。2015年だったか、2016年の頭か。その頃にはもう熱心なファンがついていて、最前で2列分くらい。知らない自分は「えっ、誰?」って感じ。昇っていく人をライブハウスで見たのはSiMと彼女くらいかもしれないが、そういう場のライブハウスには奇妙なオーラが漂っている。どこかしら場違いなチグハグ感があったように思う。
そのときは、19才だったのか。あるいは20才になったばかりだった。
とはいえ、あんな有名になろうとは思っても見なかった。案外、見る目がないのか苦笑
びっくりしちゃうね。
電車が育てる気質
電車沿線。
という話題で今日のさんま御殿。
住んでいたところだと、阪急沿線。そして、東急田園都市線。
近鉄も名古屋市営地下鉄もあるけれど、今でも使うことのある身近すぎる鉄道より何故かそういう人生で一回性である線路というものに憧れを含んだ郷愁を感じる。
そういえば、出演者が阪急電車沿線の出身な映画『阪急電車』。思い出して、予告編を見なおしていたら、中谷美紀とか、南果歩とか。なんだか現在の境遇と被っていると思ってしまう。
あてがきというのは、「演劇や映画などで、その役を演じる俳優をあらかじめ決めておいてから脚本を書くこと」なのだけど、それがその人の将来ビジョンまで予測してしまうことがある。
当て書きにしろ、それを当て書きと見ることにしろ、うがった上から目線の人の見方なのだけれど、「本当のモノの見方には血がない」という理には、竹を割ったようにすっきりとしたものがどこかにある。
偏見というのは、なかなかにそういうところがあるから難しい。道義的な正しさと生き残る上での正しさというものの差分を誰もが知っていること。それを知らないのではなく、知っていることのほうに問題の本質があるのだ。
幸運の女神には前髪しかない
坂本龍一×福岡伸一 SWITCHインタビュー 達人達(たち)
いろいろ気になった回ではあった。坂本氏と福岡さんは相性がよさそうだ。全く違うタイプだけれど。会話の中で気になったのは一回性という言葉。音楽は時間芸術であること。ガンからの生還で、死を強く意識した教授の言葉として、あまりに全うな言葉だったのだが、回の最後に「人は当たり前のことに気づくのに一番時間がかかる」と。二人の結論にふーむ。
科学は反復することを核として発達してきた。反復することで、実証実験が可能となり、逆に実証実験ができなければ、それは疑わしい・間違っているとする。
一回性という言葉が気になって調べてみたら、しばらく前からトレンドになっていたようだ。一回起こっただけで、再び起こることはないということ。
本来はそういう意味だけど、茂木健一郎氏はこんなことを書いている。
「科学、技術、芸術、ビジネス・・・どんな分野でも、創造的な仕事をする人、なしえている人の人生の軌跡は、個別的、一回性の「出会い」によってつくられている。そして、そのような出会いは、往々にして、二度と繰り返さない。」
「結局、それぞれの時代を生きる子どもたちは、一回性の出会いを通して、自らの人生の構築をしていくしかない。」
一回性の中にも法則を見つけようとする試み。あるいは、真理を見つけようとする試みは、基本的に科学の態度であって、そこを出るものではなかろう。人は星をみて星座にしたが、それは地球から見たときに成立するものである。星の位置は宇宙の膨張で変わっていくし、今地上で見える星は何万光年も離れていて、それが地上に届いたときには、その星はもう死んでいるかもしれない。人は一回性のものからすら、なんらかの意味を見出そうとする。なんらかの固まりをとりだそうとする。それは、人の性であって、その牢屋からは逃げ出せない。
しかし、それが人を人足らしめている。文明は再現性を志向する。知識も、知恵ですら、そこに立脚している。だが、そこから抜け出さないと人生の本質は見えてこない。そういうことを言われていたのかもしれない。チャンスは一度しかない。そう、チャンスは一度しかないのだ。
インドで出会った、若い頃からそれを実践していた女のコは、友達から「あなたは、ラッキーな人だ」とか「幸運な人だ」とよく言われると言っていたことを思い出した。
字のないはがき
代打で国語の指導。中学2年生。1学期の期末試験の題材には、どのようなものが入っているのだろう。
向田邦子「字のないはがき」、
重松清「卒業ホームラン」、
文法は敬語(尊敬語 丁寧語 謙譲語)。
はて、教えるとなると案外難しい国語。敬語の正解なんて、たとえば、尊敬語で「~なる」と「~なられる」だと前者が○で後者が×。わかるけど、なんとなく使ってしまうこともあった気がする、そこはかとなく。昔は二重敬語だと嫌われていたような気もするけど、別語形式なんていうのがあるのね。こっちのほうがロジカルでわかりやすい。最近の国語もあなどれない。
やはり教えるとなるとそう簡単なものでもないらしい。
子供たちは、重松清さんのほうが解けて、向田邦子さんのほうに手こずっていた。小説とエッセイ。たしかに向田さんの文のほうが難しいからと子供たちにはいったけど、今読み返してみるとそうでもない。
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むしろ、「卒業ホームラン」のほうが、会話文の捉え方で心理的な部分で細かく揺れるので難しい気がする。
大人になってからしかわからない人生の機微が向田さんの文にはあって、向田さんの文章を選ぶなんて粋だなと思っていたのだけど、果たしてそれはただの大人のカッコつけでしかないのかもしれないと。心理的に優位に立ちたいだとか。子供の生き生きとした心理は、逆に大人になるとわからないだろう。
子供に添う教育とか誰かは言ってたけど、添うというのも果たしてできているのかどうか。実際には大人のほうが勉強させられる苦笑。
